肝心帳 kudo studio
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相棒
今日は私の相棒を紹介しよう。

私の相棒、それはこのカバンです。

バッグ

もう25年以上にわたって私といつも一緒だ。

南米のウルグアイかアルゼンチンで製造されたものです。

世界中どこへ行く時も一緒です。


いまや相棒は私の一部でトレードマークにもなっている。

相棒と一緒でない時は、『カバンはどうしたの?』と

聞かれるくらいにいつも一緒だ。


すべて手縫いでとても丈夫だが、さすがにくたびれて来た。

もっと最初から手入れをしてあげれば良かったなと、

いまさらに思ってもチョッと遅かったかな・・


かわりのカバンを機会があるたびに何年も探したけれど、

相棒にとって代わるカバンにはまだ出逢えていない・・・

大きさ、皮、便利性、丈夫さ、どれをとっても相棒の

右に出るやつはいない・・・

顔色もなが年の旅で鍛えられた漁師のように精悍だ。


このごろあちこちの痛みがひどくなってきたので、

自分でいろいろと工夫をして治して使っている。

これからも、まだまだ相棒には頑張ってほしいな・・・


Kudo Studio Japan:Webサイト
http://www.kudomuramasa.com/index.html
| Muramasa Kudo | 21:50 | comments(1) | - | pookmark |
不良というもの
不良というもの

僕は十代の頃よく不良と言われていました。
今は先生と呼ばれることもあります。
でも学校の先生ではなく絵描きをやっているからでしょう。

学生の時はいつも人と違った行動ばかりしているし、
いわゆる不良グループ的な友達がたくさんいました。

いまその多くの友人たちは実業家であったり、
音楽家になった人、俳優さんになった人、政治にかかわっている人、
色々と活躍している人が大勢います。

日本は昔から、右ならえ!左ならえ! 整然と並ぶように訓練されてきました。
学校でも先生が質問する時には、『皆はどう思う?』という風に聞きます。
平均化、平等化を主体とした教え方が普通でした。

その質問に行儀のよい生徒、よく出来る生徒、ようするに優等生が手を上げて、
『そう思います』と答えると、先生はまた『他のみんなはどう思う?』と聞きます。
まわりの生徒は、あの人が手を上げているんだから、とにかく手を上げておこう。
という連鎖反応が起きます。

今も昔もあまり変らない同調によって仲間外れにならない様にする・・
それは日本社会の構造が延々と続いてきた理由と条件かもしれない。
日本列島は知ってのとおり、四面を海にかこまれた国だ。
せまい島の中での社会秩序をたもつにはもってこいの習慣だろう。

でも、第二次大戦がおわり、世界と急速に接近して来た近代において、
孤立した平均性、平等性を良しとするのは時代の流れを観ていない、
ということも言えるのではないか。

僕の例で申し訳ないが、先生と違う意見や考えを持っている場合、
僕は手を上げなかった生徒でした。

通信簿には、先生の指示に従わない、協調性がない、単独行動や
独断性があって少々問題です・・・と、いつも書かれていました。

学校の成績はそこそこ良い方でしたが、それとは関係なく、
一種の異端児として扱われるようになり、段々に不良と呼ばれる様になる。

ひどいのは『不良と遊ばないようにしろ、付き合うな』という風に、
どんどんエスカレートしてきて、自分自身でも不良だと思うようになった。

しかしここで考えて欲しいのは、独自の見解や考えを質問したり、
聞いたり、何故なのかを解明する為の行動も、協調性や調和をみだす、
という注意をされるのですが、欧米諸国の学校や社会では、
『皆はどう思う?』という質問ではなく、『君はどう思うか?』という
平均性や平等性よりも、個人としての考えや見解を聞く、
個性を重視した教え方をするのです。

個性が強い場合、日本では協調性のない者、適応しない者として
不良、仲間はずれの部類にいれるが、個性とは不良という事ではないはずです。
そういう意味において僕は逆説不良のすすめを説いています。

昔、僕の中学校時代の母校で『PTA総会、文化講演』なるものを
頼まれて一時間半お話をしましたが、講演の題名は『生き様について』で、
話の内容は『不良のすすめ』でした。

いまその不良だった少年はアメリカで画家となり、あちこちで個展を開催したり、
大学で講義をしたり、おまけに環太平洋親善文化大使にさえ任命されたのです。

自分を大切に出来ない、他力本願で信念を持たない人、そんな人が
政界や実業界でリーダーシップを発揮できる訳がないのです。
ましてや自分の夢を実現できるだけの力も無いのかもしれません。

不良・・大いに結構、ただし、人の命と魂の尊厳に沿っていればです。


Kudo Studio Japan:Webサイト
http://www.kudomuramasa.com/index.html
| Muramasa Kudo | 07:17 | comments(0) | - | pookmark |
大人のエゴが・・
 私はアメリカに住んでから30年にもなろうとしています。
移住してから一番自分の中で変化した事は、日本へ対しての
憧憬と畏敬の念でしょう。

日本の文化は世界でも稀有なものであり、又その奥深さは
深遠なものです。

日本へ度々帰る様になり、日本人のメンタルや生活習慣の変化、
異変をつぶさに観て来ました。

今回日本へ行った際に、写真家の友人と一緒に着物ショーを
観て来ました。

着物の美しさやエレガントさは日本人にとって一番似合う衣類ですね。
着物は自然と姿勢も正しくなり、所作ふるまいも綺麗で、品格さえも
高くなる。

現在の日本は余りにも他国の習慣や風俗に翻弄され過ぎているとしか
思えない。

素晴らしい文化と礼節は、日を重ねるごとに廃退、衰退して行って
おります。

本当に哀しいことですが、それが今の日本の国態だと思います。

メディアのお仕事に関しても、多くのメディアがこぞって視聴率
第一優先とし、大手スポンサーも番組内容に関わらず、まるで
当然のごとく高視聴率の番組へと流れてしまう。

人々への善悪の影響がどれだけ多くとも、資本主義自由社会を
錦の御旗にし、エコノミック・アニマルといわれながら継続して
急成長したその功績とは裏腹に精神的未熟児社会になってしまった。

その結果はおのずから受けなければならず、まさに自分たちで
造作した現状を見ているのです。

アメリカのメディアは、新聞、ラジオ、テレビの独占を法的に認めず、
公的報道が偏ることを禁止じ、テレビ局は新聞社などを持つ事は
出来ないのです。

アダルト映画や雑誌なども21歳以上の成年でなければ観れない。
そして民放(ケーブルは別)は言葉や描写に関してはとても厳格な
倫理委員会組織が監視しており、違反に関してはとても厳しい。

日本は報道、弁論の自由を逆手に取り、新聞社がテレビ局も経営し、
雑誌やその他も公共の場に提供するが、わがまま勝手、下品な番組が
多々あり暴力や低俗、性的描写でさえ未成年層がみる番組でも放映
され、その弊害は現代の若者の行動をみる事でよく判るはずです。

それぞれ育って来た環境や状況と共に、どの様な教養しつけ、教育が
なされて来たか、見れば現状の結果はその影響による事一目瞭然です。

また、言葉はその国の文化の基本であり、その基本が崩れ衰退、
廃退する事は、みずからの国を否定し、永い歴史の中で親しまれれた
文化は加速しながら崩壊へと進んでいます。

公私立の学校においての教育には、先生と呼ばれる崇高な仕事を通じ、
将来にむけて国や社会に貢献できる人物を育成してゆく責務があるが、
先生としての徳をもって生徒と接する教師がどの位いるのか疑問です。

家庭や家族は、情緒や感性が育ってゆく過程において、礼節と共に
人としての大事な教養を身につける上で人格形成の鍵となる訳です。

国家公務員という学校の先生の中にも国旗掲揚、国歌などを拒否する
者も少なくない、国にやとわれ国民の税金から給料を貰いながら、
自分が生れた国への愛着や敬意の念もうすれ・・本当に悲しい事です。

いろいろ勝手な事をほざいておりますが、ただひとえに故国日本が
大好きで愛しいのです。

今の日本が、これからの世界と付き合って行く為の道はけわしいです。

日本はこれから寒くなってくる季節、どうぞ皆様も健康に留意され、
御身ご自愛下さいます様に・・・。
| Muramasa Kudo | 22:09 | comments(2) | - | pookmark |
日本、5週間講演ツアー
 久々の書き込みです。
見たら9月11日に書いたきりでした。
9月16日から日本へ出発して10月25日にロスへ戻りました。

さて今回の旅は前回の日本で講話をさせて頂いた、
レラ化粧品のビジネス講話7都府県ツアーで、
9月20日を皮切りに、高知、松山、東京、郡山、
名古屋、大阪、福岡でした。

講話の内容は私のウェブサイトに書き込んでいる肝心帳(村正語録)を
主体にしたもので、基本的にはいかに自分を磨いて奇跡を呼び寄せ
活用できるか、というものでした。

私の書いたものは漢字が多くて読みづらいとよく言われます。

でも、国の言葉や文字こそがその国のアイデンテティー(ID)、
それは自分の出生時からお世話になる母国を形成する文化なのです。

少々読みにくいかもしれませんが、言葉や漢字に含まれる
意味など、電子辞書でもいいですから調べて欲しいと願うのです。
意外な発見や勘違い、読み違いをなおせるチャンスでもあります。

さて、今回の旅では多数の美容関係者の方々が参加して頂きました。
大体100〜200人ほどの人達ですが、ホテルや公的センターなどで
場所が変っても皆さんと共に熱気あふれるセッションになりました。

レラ化粧品の安田氏はビジネス講座を何十年も続けており、
美容業界の改革、革新を推進している方です。

元々知人であったのですが、以前の日記で書いた様に急速に友人関係が
確立されていった訳で、今回の5週間ツアーとなった訳です。

行く先々で大いに歓迎されたのも、安田氏の東京オフィスで最初に
飛び入りで講話をしたのがきっかけで、その時のビデオが全国へ
配布されていたからでもありますが、安田氏を信頼してやまない人々
だからこそ、私の講話も聴いて頂けたと感謝しております。

色々な場所で講演をして来たわけですが、安田氏の関係する方々は、
ほとんど美容関係の人達ですが、必ず礼儀作法の講習から始めます。
小笠原流礼法にのとって、起立、礼、宜しくお願いします、
そして講話がおわり次第に同じく、起立、礼、有り難う御座いました。
という風に講話が始まるわけです。

現代日本社会での礼儀作法は、廃退への道を異常なほどにその速さを
増して衰退して行ってます。

家族同士、友達同士、職場でも礼儀が無くなった様な状態ですね。
親しき仲にも礼儀あり・・・面倒臭い、別に必要ない・・・など、
個人主義的な風潮になってしまった今の日本です。

礼節という言葉も遠いものになりました。
礼儀と貞節(節制、貞操観)など、あるだけ邪魔くさいなど、
人として社会で生きる(生かされている)うえで、必要不可欠な
大事なことだったわけです。

その暗黙の規律こそが日本の文化を守ってきたわけです。

今回の講話の旅では、若者が情熱を持ち目的に向かって一所懸命に
頑張ろうとする姿を見て、私はとても救われた気がしました。

今回の講演ツアーでは、情熱や高いテンションを持つ事が生きる上で
いかに大事なことか皆さんもシッカリと理解してくれたようです。

夢をただの夢にしない、夢見がちではなく夢を現実化する、
ドリーマーではなく、ドリームメーカーとして生きるという事です。

さて、ロスに戻ってからは時差ボケとの闘いです。
年齢を重ねるごとに辛くなってきますね・・・。
時差ボケが解消されるまで約二週間ちかくかかるのも大変です。
そのあいだ頭がボーっとして時間に関係なく睡魔が襲ってくる。
その繰り返しで一日が終ってしまう・・・。

今年になって7回も日本へ行きましたが、その分だけ時差ボケで
時間をずいぶん損したような気がします。

地球の自転と反対方向へ飛んで行くと楽ですが、その逆は時差ボケが
大きく影響してきます。
天皇家が外国へ行く時は必ず西回り(自転の逆)で飛んでいきます。

今回の書き込みはあまり面倒くさい事を書かないように、
この辺にしておきます。

また近じか書くようにします。

 
いつも読んで頂き、感謝致しております。
| Muramasa Kudo | 11:31 | comments(1) | - | pookmark |
本当に哀しい事って?
 ある探検家がアフリカの奥地へ行って原住民の子供達とたのしく
遊んだあと、子供達にキャンディーをわけて上げた。

子供達はいままで食べた事もなかった美味しいキャンディーを
口にほおばり、本当に幸せそうな満面の笑顔でした。

探検家はその笑顔を見て一緒に幸せな気分を味わいました。

そして探検家は、アフリカの奥地をあとにして自分の国へ
帰って行きました。

あとに残された原住民の子供達は残りのキャンディーをすべて
食べつくしてしまった。

子供達は生まれた時から口にしていた自然の甘いものや食べ物を、
今はまずいと感じていた。

子供達は毎日のように『あ〜ぁ〜、あのキャンディーが食べたいな〜』
と繰り返していた。

この原住民の子供達の人生にとって、キャンディーを知った事は
素晴らしい出来事だったのだろうか?


人は親切心で喜んでもらおうと思ってした事だが、知らなければ、
経験していなければ、今まで美味しいと思ったものをまずく感じたり、
無いものを欲しがる欲望というものも芽生える事が無かったかも
知れない・・・。

勿論、その逆も大いにある訳で、自分にとって本当に必要な事は
何なのかを熟慮し、そして認識し、自覚したうえで行動に移す事が
大切だと思うのです。

親切を決して安易に考えてはならない、相手が自分でできる事にさえ
親切という名の、余計な手出しをする事は相手の魂への陵辱と同じだ
と思うのです。
何故なら、その人の挑戦する意思、意欲やチャンスを取り上げる事に
なり、結局は安易に人の助けをあてにする依存症人間にしてしまう事
もありうるからだ。

親が子供を甘やかす・・・親切や愛とは言いがたい、子供にとって
いい親でいたいという潜在的な思いが根底にある故の行動でもある
(自己の思惑)、そればかりとは言えないが、親身と甘やかしには
天地の差がある。

現代の多くの大人達も『鍵っ子』と呼ばれた時代があった。
物質社会においては、お金=力 という考えがうまれて以来、
鍵っ子達もお小遣いや物質的な可愛がりを当然のように受け、
それが善い事と思い育ってきた。

もちろん、先の話のように子供達の精神や感性は、まだ社会の
荒波の洗礼を受けていない状態のなかで、お金と物質による力を
幸せと感じる様になった事は否定できないし、彼らだけの責任とは
言えまい。

経済成長を第一に日本中がお金、お金になり、共稼ぎや核家族への
移行、生活向上のために家庭という大切な文化が廃退していくという
大きな犠牲のもとに貨幣経済のよる飽食の時代をむかえた顕著な例だ。

お金や力が何より大切になってしまった人達・・・先だっての
メキシコの漁師の話のような、シンプルな幸せを普通として受け
入れる事は出来ないかも・・・とても憐れに思えるのは私だけか?

いま多くの人が経済不況で苦しい立場に成っている・・・画家の私も
その一人だが・・・・どんな状況に置かれていようと、自分の命と
魂の尊厳はそう簡単にはギブアップなどしないのです。

人として生きる上で大切な事は、人が作ったモラルや常識、決め事、
法律・・・何にしても完全なものなど一つも無いという事を認識して
おく事だ。
その上で、すべての命と魂の尊厳を大切にし、尊重して傷つけない
事だけをシッカリと守れば善い。

勿論、社会の中で生きる上ではナンセンスな常識も横行しているが、
自分の芯が真っ直ぐちゃんとしていれば戸惑うことも翻弄される事も
なく、自他批判、卑下することも無い。

人は万能の神ではない・・・が、しかし万能の力と交信し交流を
持つ事は可能だ。
| Muramasa Kudo | 21:03 | comments(2) | - | pookmark |
普通に大変
 大変など奇跡的な事ではない、だから大変は普通のこと、
気重になる感情など邪魔になるものを排除する精神力さえ
あればいい、知らずの内に習慣になった歯を磨くように、
普通にやる事をやる、出来る事からやればいい・・・
出来ない事で悩むより、できる事を通じて出来ない事も
出来るようになる・・・それが習慣になるまでの辛抱だ。

どんな時でも大変だといえば全て大変であって、簡単な
事など一つも無いが、それに取り組む事は学校での勉強と
同じで、行きたくなくても絶対にいかなければならない、
そして後々に勉強しておいて本当に良かった〜、と思うときが
必ず来る。

大変という一つの坂を登りきった時、振り返ってみれば登りは
下りと同じだという事に気がつくのでは?

全ての物事や自然界に存在するものは表裏一体でなっている。
辛苦を経験し、問題の壁を破り大変な山を越えた時の安堵感や、
ふつふつと湧いてくる自信や希望は、その裏づけになる辛苦という
経緯がなければ得られないものです。

私の人生はいつも大変でした。いつも大変だったから大変と言う
事に関して免疫が出来ているのかもしれないが、ストレスという
医学的な言葉での症状は自分には起きていない、起きているのかも
しれないが、普段するべき事をしなければならない事がストレスに
成るというのであれば、歯を磨く事自体さえもストレスの原因と
なってもおかしくはない筈で、私は目の前のするべき事をする、
そして人事を尽くして天にゆだねる・・・それだけです。

それでも人間の思いや想像力の力で増幅される不安とか期待感
とかに振り回されないようにするのには、自分の原理・原則(信念)を
いつも自分の中でくり返し言い聞かせることが大切です。

ストレスは思うように行かないときに感情や期待感、不安感、猜疑心
などが入り混じって情緒の不安定を生んだすえの症状です。

思考は現実化されるというのは善し悪しに関係なく私の生きる
原理・原則の中ではまさにその通りだと言い切ります。

だからこそ何をどういう風に考え、想い描いているのかが重要で、
ただ闇雲に考えるという事は、先に進むべき目的地を設定していないで
船を出して海上を漂うだけの結果になりがちなのは否定できない。

一度設定した物事でも、第一優先事項はつねに思惑とは関係なく
変更しなければならない事態も起きるが、常に柔軟な思考をもって
対処して行く・・・私は常にこれを実行して来たし、実行せざるを
得ないという日々に身を置いてきたわけです。

変更、変革、改革は変えて行くという強い意志によって初めて出来る。

人から見て、私という人間が落ち込んで居るのを見た事が無いとか、
そのようには見えないとよく言われるが、それは少なくとも現状をよく
見ながら、出来る出来ないの判断を下すのに闇雲に不安を先行させて
考える様なことは決してないからだと思うのです。

いつでも、そして今迄も一度として死んだ事もないし、飢えで
餓死寸前になった事もない、小さい時でさえも生きる為にそれなりに
工夫していた筈。
だれでもが多くの諸問題をふくめ毎日の生活を考えながら生きている
訳だが、大小に関わらず、一つの問題にはまり込んだ時点で、
前後裁断、即決即断をする決心や決断力が消沈して出来なくなって
しまうのです。

世界中が不景気で大変だ大変だと見聞きし、それを取り込み心労を
重ねる事でストレスとしてしまうのか、それとも大きなチャレンジ
として、自分の精神の次元を上げて行く試金石とするのかは自分の
意思でどっちにでも選択肢がある訳だから、私は必然のこととして
後者を選ぶ訳です。

何はともあれ死んでいない自分は毎日確認できている訳だから、
何を恐れる事があるだろう・・・、笑われる事も多々あるが、私は
絶対に大丈夫だ!という、まことに根拠の無い自信が私を支えている
のです。

それは死ぬまではどんな事があっても、ちゃんと生かされるという
自然の法則、摂理、原理に全幅の信頼を置いているから、と云う
ことになるだろう。

生かされて生き、想い描いて変化・進化への行動があってなんぼの
人生、生かされている間、時空を大いに駆け回り飛びまわりたい
ものです。

長々と読んで頂き、ありがとう御座いました。

感謝、合掌
| Muramasa Kudo | 18:21 | comments(2) | - | pookmark |
弱虫だからこそ・・・
 書き込みは本当にたまにしかやらない面倒臭がりやで、
それでいて気持ちの上では焦っているのです。

八月はあっという間に過ぎてはや九月、今月もまた
日本へと足を伸ばします。

日本の八月は夏休みやお盆休みと重なって、予定していた
友人知人と半数の人としかお会いできなかった・・

そんな中で六本木にあるレラ化粧品の安田会長の招きで
セミナーに参加する事になり、私も一言といわれて・・
それが2時間ものあいだ独壇場と化してしまいました。
会長は微笑んで聴いていてくれましたが・・・

その多くはヘアーサロンの方々が大半でしたが、そのテンションの
高さと集中力は素晴らしいものでした。

多くの人がメモを書きとめ、熱心に聴いている姿はアメリカの大学生
に講義した時よりも数段高い次元を感じ、ついつい熱弁とあいなった
訳ですが、誰も途中で席を立つわけでもなく、嬉々とした情熱的な
顔、顔、顔・・・その波動が伝わってきて、とても心地の良い
セミナーでした。


さて、セミナーや講演では私の経験や多くの例を取り上げながら
色々とお話をしていますが、その内容や言葉に関してあえて言うと、
私は自分で出来ていない事も多々ある上で話しています。

私は皆さんに語りかけ教えるなどという大胆な驕りは
毛頭ないのです・・・私自身が五情五欲の俗人で
自分の理想とする自身の姿を追い求めて人生の
旅をし続けている・・・ただの我がまま絵描きなのです。

私の書く言葉は、私が自分に課した勉強、修身の言葉です。
私自身が道をはずれぬように・・・と
自分に日々言い聞かせている言葉なのです。

私は聖人偉人でもありません・・・しかし自分の
五情五欲の世界から一歩でも遠ざかりたい・・臆病で
弱虫だからこそ・・真理にしがみついているのです。

そして真理と云うものの本体、本質はすべて自己の
内面奥深くに、私の我(が)という重石のされた蓋で
永いあいだ閉じ込められていたのです。

私は自分の弱さと不甲斐なさ、そして五情五欲の
猥雑な俗念は消えはしない・・・と悟覚したのです。

いかにこの猥雑な自我を取り押さえ、そして言う事を
聞かせることが出来るか・・・の毎日でした。

それは今も継続して闘い続けねばならない程に自分は
臆病で弱虫なのです。

私は自分の弱虫という虫を今は大事に育てています。
いつか蝶の様に大空へと飛翔する事を想いながら・・・
| Muramasa Kudo | 18:15 | comments(0) | - | pookmark |
ノンビリする為に・・・あくせく・・?

友人からのメール・・・・自分の自然体が一番善いですね

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

メキシコの田舎町。

海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。

それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。

すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。

旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、

漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、

漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら
子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、
ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
 きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
 漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな
 漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで
 漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、
 そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティ
 に引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね?」

「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」

「それからどうなるの?」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまで
 ゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、 子どもと遊んだり、奥さんと
 昼寝して 過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
 歌をうたって過 ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう!!」


「・・・・・・・・・???」

___________________________

自分なりの価値観での幸せを大切にしたいですね!

| Muramasa Kudo | 13:11 | comments(6) | - | pookmark |
言葉と漢字の文化
 いまは本当に本を読む若い人が少なくなり、漢字の読み書きが

難しいと言う人が多くなった時代になってしまいました。

昔から漢字は読んで字の如し・・と言われるくらい意味深い

とても重宝な言語表現の上では欠かせないものです。

昔からある方言も時代の潮流には勝てず、何でもリアルタイムで

見る聴くが世界中で出来る様になり、地方と中央との壁が無くなり

地方文化である方言も、昔には使われていた言葉もどんどん

消えていっています。

ズーズー弁も今は懐かしくなる位い私の好きな青森でも少なくなり、

若者達は殆ど標準語に近くなっています。

多くの文化・芸術・職人芸から習慣、風習もこうして消え去って

行くのかと思うと、とても寂しい気がします。

今では考古学と呼ばれる専門家が、失われた言語や文化を探索し

探究して現代語に翻訳解明して行く素晴らしい仕事をしていますが、

自国の文化を常に大切にしていれば、再探索する事も無いのに・・

と言っても文明は超スピードで進み、それと同じくらいの速さで

文化が衰退、廃退して言っている事を忘れずにしたいものです。

ふるきを訪ねあたらしきを知る・・・の姿勢でいる事の大切さを

更に感じる今日この頃です。
| Muramasa Kudo | 12:32 | comments(1) | - | pookmark |
一本の扇子から
今回は私の小中学校の同級生だった女性からの言葉を紹介し、
正反対な私の感情的に書いた返信も掲載しようと思います。

彼女は男まさりで小中学校を通じて私は彼女のイジメの対象でしたが
(今の様な陰険なものとはかなり違う)、頭脳明晰、運動能力抜群、
その後は青森放送のアナウンサーとして活躍、短編ドキュメンタリー
などでグランプリを受賞したり、その後は役員に迄昇格。

現在はHNK教育番組でお茶の講座などをする才媛です。
どういう訳か男友達というか・・そんな感じで昔から
話が出来る人で、しかしながら内面に秘める大和撫子の精神は
いまもなお深く脈打っているようです。


以下、彼女の言葉です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『一本の扇子から』


かつて日本人は、扇子を常に携帯していた。

装いの決まりであり、エチッケトでもあった。

物を出す時、扇子を軽く開いて、載せて差し出した。

挨拶をするときは、畳の居前に置き“結界”の役目をする。

立っている場合も同じで、社交に使われていた。

皇族のローブデコルテにも必ず扇子がつく。

こうしたマナーが廃れて日本人は“清品”さを失い、社会の秩序も

乱れた。


 紀元前、中国で考案された団扇が7世紀頃に日本に届き、これを

折り畳んで扇子が生まれた。

はじめは木簡を糸でつないでいたとか・・・

17世紀、中国を経由してパリに伝えられて大流行した。

パリでは羽飾りやレースを張って、お洒落なアクセサリーになった。

扇子を扱う店が150軒もあったという!

扇子は日本人が創ったものなのだ。

紙や竹を使ったはかないものが人を助け、威厳を引き出していた。

扇子模様は嫌いだけど、扇子は好きで集めている。


 汚れて役目の済んだ扇子を集めて燃やし、立ち上る炎をボーっと

見ていると、過ぎ越し方が思い出されて感慨深い。




以下、私の感情におもむくままに書いた返事・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


貴女の文体はとても美しく読み易く、そして何よりも

判り易いもので、流れるように書いているリズムは

とても心地良いものです。

 私に本を書けというのは未だピンと来ていませんが、

貴女は本を書かないのですか? 貴女が書いたものは、

文化的な背景を大事にする日本の精神であり真髄でもあり、

多くの教育現場や家庭においての団欒などで文化を継承して

いける様なそんな社会現象が起きても良いのでは? 

と思うのは私だけでは無い筈です。


 日本は明治維新より文明開化と称して急激な西洋文明を

我神の如く闇雲に取り入れ、挙句の果てには仏教を抹消

しようと寺院の破壊を平気でやってしまった事がある様に、

盲目的な狂信性を内に秘めた民俗でもあります。

 その思考と行動パターンはいつでもお役人様、お代官様の

指図、思惑を全てと受けとめる士農工商の悪性癖に他ならない。


 敗戦後はアメリカにひざまずくイエスマンとなり果て、自治国家

としての権威、誇りも失くしてしまったのです。

 現政治体制は幕末の江戸幕府の老中と何も大して変わりが無く、

井の蛙、大海を知らず身内だけでコソコソ物事を進める輩であり、

野党は与党に反対する事だけが大事だとばかりに、人の上げ足の

取り合い、責任転嫁、ああ言ったこう言ったと等、まるで子供の

喧嘩以下としか言い様のないバカバカしい事に血道を上げて騒ぎ、

国民の血税を平気で無駄遣いする国家公務の輩達は自覚など何も

無いに等しい、ましてや不明晰なその思考回路には、とうてい

慈悲心、思いやり、隣組の気遣いなどある訳が無いのです。


 他国への援助金などには気前良くいい顔する為に何千億でもポンポン

ばら撒き、自国の国民の窮状を見て見ぬ振りをし、血税を納め続けた

中小企業や社会貢献に努めて来た一般社会人へは救済の手も伸べない。

 兆という数字の還付金は一人当たり1万円チョッとであり、何の

足しになるのも解らず、それよりも何故血税と言われるのかを理解

する事が重要だと思うのです。

読んで字の如く血と汗の結晶を砕き国家へ奉納した尊いものなのです。

せめて過去7年間に納税して来た分の6,7割を無利子、無担保で

向こう5年間の貸付などで救済考慮をする温情の念があっても善い

のではないか?


 日本は自治国家であると信じている国民が殆どだと思います。

しかし、自治国家とは主権を明確に履行できる国体であり、日本はその

通例には当てはまらない主権不在の国なのです。

敗戦後、天皇は象徴として参政権を失い、首相は与党の身内で

決まる党首親玉であり、全国民が選んだアメリカ大統領の如くに

絶大な決定、拒否権を発令出来るほどの権限も無い、そして

国民は主権在民という憲法にうたわれた権限を理解しておらず、

相変わらずのお代官様、お役人様の言うなりでしかない。


 また自治国家の主権内容には、自国の利益、国民を守るために

宣戦布告の権利を有する事でもあります。

無論、戦争などは無いに越した事がないのは当然だが、外交問題

に消極的な日本人の主権不在のお役人体質は、諸外国の閣僚などの

思う壺でもあり、外国為替の操作をされ無理難題を次々と押し付けて

来るのも、日本の利権政治屋的な自己利益ばかり追いかけて来た、

世襲式になってしまった政治屋の小人的姑息な精神性を見抜かれて

いるからに他ならない。


 西欧文明の急進化と反比例して文化の衰退と廃退は、急激に加速して

もはや手の付けられない状態に迄なっています。

文明は世界の情報をリアルタイムで把握できるまでになり、その反面、

世界の多くの文化が西欧民主主義に淘汰され自国文化の衰廃退を促し、

教育から家庭形態の崩壊、性風俗の乱れを急激に増長し、うるわしき日本文化を

崩壊させてしまった、と云う事実は見逃せない!

その素晴らしい文化を再現、再建する事の難しさは破壊して来た我欲尊大な

輩達には解るまい。


 文化はお料理と同じで、材料の吟味、調達、下ごしらえからお皿に

盛られる迄、経験と云う時間、おもてなしと云う独特の敬愛をこめた

お料理を整えるには、悠久とも思える時間の経過が必要ですが、

食事を頂く時間はというと比べ様もない程に短いのです。

積み上げていく事は決して楽ではなく、時間も情熱も経済性も全てが

一丸とならなければ出来ない事であり、一方の破壊はビルの爆破と同様に

一瞬の内に崩れ去るのです。


 さてさて、また自分の感情の赴くまま書いてしまった駄文の為に

お時間を取らせ誠にご迷惑な事とお詫び申し上げます。

季節の変わり目故、どうかご自愛の程をお願い申し上げます。

菩薩 工藤村正
| Muramasa Kudo | 17:47 | comments(0) | - | pookmark |
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