肝心帳 kudo studio
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Life is Art

JUGEMテーマ:アート・デザイン


©MURAMASA KUDO
Kudo Studio Japan:Webサイト 
http://www.kudomuramasa.com/index.html

 

| Muramasa Kudo | 10:55 | comments(0) | - | pookmark |
さらなる挑戦

京都の老舗茶陶嘉祥窯のギャラリーで開いた和合展と同じく、

四代目嘉祥先生のお力添えで、写真の作品を制作する事ができました。 

本当に万謝の極みです。有り難う御座います。

陶器2
©MURAMASA KUDO

陶器1
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陶器3
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JUGEMテーマ:アート・デザイン

| Muramasa Kudo | 20:45 | comments(0) | - | pookmark |
陶板に陶器の絵
This painting is painted on Bisc fired clay plate ! 

素焼きの表面に久々に絵を描いてみた… 
とても自然な感じで制作できた事が嬉しい。 

自然との対話…大げさかもしれないが事実、その対話が 
土と火を相手なので感覚を研ぎすませ聴き耳をたてる… 
いやはや余りにも奥の深さに驚愕している次第です…。 

この陶板は、カッティングしてデザインを施したあと 
素焼きしてから周囲だけに釉薬を施し、本焼きしてから 
表面の素焼き部分だけにアクリルでお抹茶の茶碗を描いた。 
支持体が素焼きという今までとは違う下地なので試してみた。 

陶板に陶器の絵という親子丼の様な響きだがそれなりに 
描けたのでアップしました。 

結果は思った以上に面白い筆運びとなったが、下地が 
素焼きで水分を吸ってしまうので思う様に色を伸ばして 
行くという事が難しい。 

陶板という素材の持ち味を残したいのであまり下塗りを 
厚くせず、陶板の持つ自然な風合いを出してみた。 

四代目嘉祥釜の嘉祥先生はまだお若いが5、6歳から 
先代の薫陶を受けただひたすらに作陶に専念して来た 
現代では珍しいくらいに古風で禅の精神にも精通した 
希有の人でもあります。 

彼から学ぶ事は多く、仕事の楽しさや厳しさをお弟子さんに 
教える姿勢は昔ながらの手抜きの無い厳しい教え方であるが、 
その柔軟な発想や色々な陶磁器の可能性を研究、探求する 
思いの深さ、先代から受け継いだジャンルの広さは窯元として 
珍しい位に応用の面白さ、素晴しさを表現している。 

今回もこの様なチャレンジに門戸を開いてくれた事に 
深く感謝して止まない。 

URLもあるのでkashogamaで検索して頂ければ幸いです。 

感謝

陶芸
©MURAMASA KUDO

陶芸に絵
©MURAMASA KUDO

嘉祥窯
http://www.kashogama.com

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| Muramasa Kudo | 21:37 | comments(0) | - | pookmark |
炎を待つ…
素焼き、彩色の為に前回の龍と共にじっと待つ…虎… 

又いずれの日に… 

焼き物 虎
©MURAMASA KUDO

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| Muramasa Kudo | 12:16 | comments(0) | - | pookmark |
弥勒菩薩

ドイツのカール・ヤスパースという

実存哲学者が日本を訪問をして

広隆寺の弥勒菩薩像の顔を

何時間も観続けて言った言葉は…



『 この弥勒菩薩の顔は人類史上で最善の

 顔です。そしてこの様な総てを受容する

 大慈悲心の顔の相になるには、ありと

 あらゆる辛酸、辛苦を経験し知り尽くした

 者でなければ、この様なお顔には絶対に

 なれるものではない、しかしこの姿が

 この世に現存するだけで人類の将来に

 希望を与える… 』 


という内容のものでした。



弥勒菩薩は殆どの悪というものを背負い

そして修行を進め修めて菩薩になった、

というお話を、『日本語の法華経』という

江南文三というお方が書いた本の中に書いて

ありました。



序には高村光太郎が寄稿して

あり、とても興味深く、そして楽しく読める

誰でもが判りやすいものになっています。

昭和19年9月に初版が出版されました。

私の知人が探した所、今でもある様です。



本当に優しいお顔ですが、それでいて

凛としたその波動は何ものも犯しがたい

静かなそして高貴で尊厳の光を放っています。



少しでも、ほんのちょっとでも近づきたい、

精進しなければ…と自然に背中を押して

頂ける様な、そんな気がします。



感謝を込めて… 合掌


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| Muramasa Kudo | 19:27 | comments(0) | - | pookmark |
”ライムライト”…不朽の名作

洋画の名作、”ライムライト”

1952年にチャップリンがアカデミー作曲賞を含めた映画の総てを

自作自演で制作した…老年の道化師と美しい踊り子の純粋愛の物語。

チャップリン

今もハリウッドにはチャップリンが創設したスタジオが当時の面影を

残し、古いレンガ造りの外観も建物もまだ現役で活躍している。

私の親友だった故ラウル、ジュリア主演のアダムスファミリー1、2

もここで制作されました。


ラウルに呼ばれてセットへ入り、映画製作の事やチャップリンの話を

しながらも…この美しい感動の映画を想い出していた。




ライムライト、今の電気照明がまだなかった時代のステージライトで、

それは”名声”と賞賛される者への代名詞ともなっていた。この映画は

世界中の人々へのメッセージとして、命と魂の尊厳を深く、そして

慈愛を込めて創られた不朽の名作です。



しかしながら、当時のアメリカは異常なアカ(共産党員)狩りが遂行

されていて、チャップリンは母国イギリスへ凱旋途中の船の中で、

国外追放の哀しい知らせを受けた。



彼は人生などと云うものはない、生きる事は闘いそのものだ!

と言い切っていた。


私も含めアーティストでなくとも共感しない人は皆無に等しいのでは

ないかと…。



そして年月が過ぎ世界の超大スターとして、全アメリカ国民の待望と

賞賛に満ちた歓声の中、老いた顔には満面の笑みをたたえて…

その姿は…凛とした品格と、眼は慈愛と尊厳に満ちあふれていた…

その細い足は愛しむ様にふたたびアメリカの地を踏んだ。


チャーリー.チャップリン、彼は再びライムライトの頂点に照らし

出された…愛と想いを込めて創ったこの映画を再現したかのように…




”ライムライト”この映画には彼の生への愛と哲学、初めて波瀾万丈の

彼自身の素顔を映画に露出し、想像と創作、夢と現実、絶望と希望、

美しくも儚く、愛する人への想いと葛藤…人は個人として生まれ、

個人として独り静かに久遠の眠りにつく。




私は今この歳になって自分の中に、この愚直な主人公カルヴェロと

テリーの交感を、優しく流れる歌曲と共に切ないほど痛い程に

感じている…涙と愛が溢れ出てくるのを止めはできない…





"  Eternally …永遠に " (テリーのテーマ)

名作、” ライムライト ” の主題曲、Charles Chaplin作詞作曲


I'll be loving you Eternally , With a love that's true Eternally.

From the start with in my heart it seems I've always known,

The Sun would shine when you were mine and mine alone.

I'll be loving you Eternally, There'll be no one new my dear

for me.  Tho' the sky should fall, remember I shall always

be Forever true and loving you Eternally.




永遠にあなたを愛していくよ…

それが本当の永遠の愛なら…

わたしの心は…最初からそれを知ってたみたい…


太陽は光り輝く…

あなたが私のもの、私一人だけのものだった時…


永遠にあなたを愛していくよ…

これから私に…愛しい人など…

他に誰一人もいらない… 
 

ときには空さえもおちてしまうようだ… 


思い出して…本当にいつまでも永久に…

そして永遠に…あなたを愛しているよ…





アーティストとして、人間として、男として
この名作と名曲に出逢えた事は信念の奇跡…
敬愛を込めて…感謝します

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| Muramasa Kudo | 22:15 | comments(0) | - | pookmark |
仕事への情熱(アーティスト)
アーティスト、それは想像と創作に関わるすべての人、
絵画、美容師、芸能、生活用品、全て想像からの産物、
それを生み出す人達・・・とても素敵な響きの言葉ですが、
その才能を仕事として活かして行くという事は簡単じゃない事は
アーティスト自身が良く判っている事と思う。
 
しかし大変でも創作する喜びを知った者に残された事は
自分の目指す理想の創造物を制作する・・ただ継続して
作り続ける。
 
それが結局は後世の人への大きな贈り物になって行く・・・
そしてその事を期待して制作してもならない・・矛盾です。
 
本来の素晴らしい自由というものは、矛盾を矛盾としない
矛盾そのものが自然であり、あるがままという事を受いれる事です。
 
何にもこだわらず、そして流されずに生きることは難しいと思う。
でも自分の中にあるものは自分以外に変える事はできないのです。
 
自分が水のように、風のように形というものが存在しなくても
誰の中にもその存在感は自然に根付いている・・
そんな人になりたいと私は思って生きています。
 
ほめられずとも陰口を言われようとも、全ては自分の中で
処理できる事であり、そして自分への決定権を持っているのは
自分の人生の中では自分以外にはいないという事に気がつく。
 
人間の一生はたった100年にも満たない短いものです。
まして自分の生き方を考えるようになってからの年月と
活動できる時間はとても短いものだ。
 
そんな短い時間内に自分の理想を完成させるという事は
至難のわざでもあると思うが、挑戦のないところには
その進歩も結果もないという事です。
 
挑戦をし続けて終る人生には【挫折】という言葉は当てはまらない。
つねに進歩、改革、変化を続けているのだから。
挫折は挑戦を放棄したときに決定する。


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菩薩観音
©MURAMASA KUDO
| Muramasa Kudo | 22:04 | comments(0) | - | pookmark |
自然、不自然って?
自然不自然

 自然の摂理の流れは高きより低きへ、しかし反自然的な人間の営みにおいての流れや仕事の流れは必ずしもその摂理とは同調は出来ても調和が取れるものとは限らない。

 だからこそ難しくもあり、その反面で試行錯誤しながら独自のスタイルや歴史を刻む事も挑戦し続ける事もできる訳です。

 いつでも時が止まらずに流動的であることが自然のすがた、その流れに流されるだけではなく、流れと共に泳ぎながら障害物をよけながら自分の上陸点を見極めるように、間違えないように目を凝らしながら泳ぐ・・・柔軟に・・・気負わずにね。

 私は昔から貯金もしたことも無く、お金に無頓着なのでいつもハッと気が付いてからバタバタ・・・いい年なのにそれでもいまだにこうして芸術畑で生かされている・・・すべてお陰様の力でありそれ以外なにも無し・・・済みません、感謝 だからこそ自分の本分(絵描き)に対しては常に真摯な姿勢をしっかりもって自分の我というものを空っぽにして我欲を抜き去った状態にして創作するのです。

 それは意図や躊躇などが抜けた自然態の流れになって、はじめて素直なそして感性へ直接語りかけるものになり得るのです。 それでも出来不出来は当然あるし、だから今度こそ!とまた新たな覚悟で創作に取り組む意欲と希望が出てくるのです。

 今こうして61歳という歳になって振り返ると、善いこともどんな馬鹿な事もふくめた全ての事柄の中から、たった一つの事柄を抜いても今という私の人生に繋がりはしないという事がよく判ります。
 
 小さい頃からいつも大変で苦しい事が多かったせいか、私にはストレスというものがいまだに解らないし無いのかも知れない・・・ずっと大変だったからそれが当たり前になっていて、ストレスではなく、それが私そのもので歩んで来た道程であり私の人生そのものだと思っているので、精魂が楽なのかもしれない。

 その大変だという人生も、上を見て下を見てみると、大した事でも何でもなさそうな気がしてくるのです・・・あ〜ありがたいな!

 今の時代にこうしてアートの世界で生きる事の大変さは本当に並大抵の事ではやって行けないという事は誰でもわかっている事実ですが、私の中には何と説明していいか解らないが、『根拠の無い、絶対俺は大丈夫だ!』という根っこの部分で絶対に揺らがない絶対的な自信がいつでもあるのです・・・本当に図々しい命と魂だと思う。 毎月末の悩みはずっとこうして続くかな?とも思われるが、いずれは・・・と思う気持ちがあるからこうして頑張る事が出来る。

 結局は自分の気のもちかた次第という事になるわけだ。 自営は大変だといっても世界の人口の98%の人が従業員として生きている中で、大変だろうが何だろうが独立して頑張る事の出来るたった2% のなかにいるって事は幸運であり稀有な事でもあり自分の人生のドキュメンタリー映画を完全に自主制作できる立場にいるという事でもあり、だったら私は楽しく制作、上映をし続けて行くっきゃないでしょ?・・私の魂、楽天家なのかも・・ それは自営業者だけに限らないことで、誰でもが自分の人生の制作人で主人であり主人公であり脚本家である事を忘れてはならい。

 自分のドキュメンタリー記録映画として毎日の大河ドラマを制作しているという事を自分の行動と考えに気をつけながら、シッカリと念頭において、絶対に忘れない事でです。 そして自分の行動をよく考察しながら素敵な人生映画にするよう、自分の為に(人の為以前に)自分の深い根っこの部分で自己との闘いを続け、我欲という内面の強敵に負けぬように自分物語りを制作し続けることです。

 人の為・・・は聞こえがいいが、人偏に為と書いて偽り(いつわり)となる。 本当に自然で不自然にならない生き方は、先ず自分の人間性の確立、それは自己の命と魂の品格を高めていく勉強であり、自分が生きて行くうえで周囲との調和が自然と出来、本来から備わっている自分の内に眠っている偉大な潜在能力を起し、その力を存分に発揮できるようになるのです・・・・・本当になっちゃう!   
 
 とにもかくにも大事なことは健康です。笑顔と健康、そして慈悲心という優しさを根っこに持っていれば、ちゃんとつじつまの合う一生を送れるようになっているよ。

 そして自分への『禁句』! 私は駄目だとは思わない事!

 しかられたのはあなたが 愛されている証

 くじけそうなのは あなたが 進んでいる証

 つらいのは あなたが あきらめていない証

 あなたにしか出来ない事だらけのあなたの一生、一所懸命に(我)ん張らずに明るく頑張りましょうね  今日もいい日で、優しい一日になるよ・・・きっとね。


ムラマサ
| Muramasa Kudo | 22:55 | comments(0) | - | pookmark |
アートへの私的考察
 芸術、この言葉はとて重々しくて自分に当てはめて言うには少し高尚過ぎるかな?と云う気持ちに成ります。

 芸術の芸は草冠に云うという字の組み合わせですが、それは物言わぬ草がものを云うという風に私は解釈しています。

 言葉や文字は感覚や感性というものを的確に表現し、相手にその感覚を伝えるには余りにも不完全な道具なのです。

 しかし芸術は作者の写真や経歴を抜きにしても、アートそのものが作者に関係なく観る者、聴く者に感覚というものを喚起させる偉大なものです。

 画風やスタイルというものは作者が意図して作り上げようとしても出来るものでは有りません。

 スタイルという大まかな点では50年代以前に巨匠と呼ばれる芸術家達が確立していますが、我々すべての人達は多かれ少なかれその影響を受け、そして消化され自分のものとして作品の上に現れてくると思います。

 本当のスタイルというものは唯ひたすらに制作し続ける事によっておのずから自然とにじみ出て来るものです。意図的に作られた物は決して長続きはしないし、また確立された画風、奏法、とも呼べないと思います。

 何にでも挑戦し極めて行く姿勢はとても大切ですし、その中で又新しい発見があるのです。常に基本に還って研究する事がとても大事な事です。

 今は芸術そのものが非常に安直に考えられている風潮が有りますが、芸術は不必要の必要性そのもで、矛盾こそが真理です。光りは陰を創り、陰は光りの存在を証明する・・表裏、男女・・すべてが一体であり、別離では成り立ちません。

 コマの芯(自己)だけでは立てません、自己だけでは絶対に成り立たない自然の摂理であり法則です。

 周りに自分以外のものが有って初めて立たせて貰えるのです。そういった意味では本当の調和というものが自然と出て来るまで制作し続ける事が大切な事です。自己陶酔、自己満足に堕ちない様に日々精神の研鑽が必要です。

 作品の中から自己というものが匂わなく成って、初めてその作品は独り立ちし、芸そのものに成ります。

 大事な事は生かされていると云う事です。自分が現在まで来れた道程、渡して貰った橋、井戸を掘ってくれた人を忘れては成りません。

 自己を内観する事を忘れずに日々精進して行く・・・それだけですね。



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| Muramasa Kudo | 14:34 | comments(2) | - | pookmark |
早乙女太一・・感動と感心
 今年になって早乙女太一という大衆演劇の女形(おんながた)を知った。

 大衆演劇というと下町の玉三郎と言われた梅沢富夫が脳裏に浮かぶ。

 中年以上のオバサン、おばあちゃんに大人気の役者さんだ。

 その熱狂的なファンは日本国中、追いかけをしていたと記憶する。

 今年の2月14日のバレンタインの日に、大阪の新歌舞伎座で座長、早乙女太一が演じる「千年の祈り」という舞台を観ました。

 当分は女形の舞台はないという事で、彼の方のプロデューサーと私のエージェントが親しいなかで早乙女太一とのコラボレーションが実現することになり、急遽ロスアンジェルスから日本へ飛び、次の日の朝の新幹線で昼の部が最終公演になるという事だったので急いで(寝坊しました)行って、もう第一部が開演した所でした。一番前のど真ん中の席で、時差ボケでも眠れない状況でした。

 第一部が終わり、そして演舞が始まり・・・演技が始まり・・私はその美しさにビックリ、唖然としてしまいました!

 そしてもっとビックリしたのは、16歳という若さです。

 演劇の中で育ったから・・だけでは片付けられない彼の才能はまぎれも無く天与の才能であり、あのまなざしも決して意識して作っているものでもなく、自然のままにわき出てくるものである。

 しかし、彼らの興行回数は知ってビックリする。

 ほとんど毎日のようにどこかで舞台を張って居るわけです。

 そしてその練習も何もかも自分でしなければならい、伝統歌舞伎とは大きな違いですが、メークも踊りも人に言えないくらいの苦しい修行を個々の意思で進めて居るとの事・・・見習わねば・・。

 私はシリーズで絵を描く事になったのだが、非常に苦労している。

 いつもは私の想像の中から女性が生まれてくるのですが、今回は目の前で「千年の祈り」を演じた早乙女太一を描く訳です。

 その演舞の内面性を表現する為にも二度ロスから観に行ったのです。

 私のアトリエで今も奮闘しているのですが、彼の天才的なその感性と直感性は、16歳という普通であれば未熟な年齢をいとも簡単に(みえるが)一般常識を打ち破り、吉原遊女の悲哀と苦悩を演じ切ってしまった・・・その感動を与えてくれた内面を描く事の大変さは言葉や文字では説明が出来ないのだ。

 私は自分が絵を描いていることを考えてみても、これほどの感性と素直な直感で何かをして居る若者(大人も含め)を過去に見た事が無かったように思う。

 私は天才というのは天から与えられた個々の才能を存分に活かす事と皆に言って来たが、無意識のうちに自然にその才能を発揮できる本当の天才には太刀打ち出来ない・・・とこれからは付け加える事も考えて話す事にしよう。

 ただ、天才といえども練習量の多さも含め、勉強する熱心さと、忍耐、そして集中力が有ってこそ、天才を発揮できる訳です。

 それぞれが自分の才能をシッカリと何が出来るのか、どれだけそれを愛し続けて行けるのかを、まずハッキリと自己認識できなければならない・・・結局は何でも同じで継続と集中力です。

 16歳とは大違いの60歳だが・・・私もまだまだ頑張らねば・・・・


愚画人

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| Muramasa Kudo | 23:00 | comments(0) | - | pookmark |
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