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不良というもの
不良というもの

僕は十代の頃よく不良と言われていました。
今は先生と呼ばれることもあります。
でも学校の先生ではなく絵描きをやっているからでしょう。

学生の時はいつも人と違った行動ばかりしているし、
いわゆる不良グループ的な友達がたくさんいました。

いまその多くの友人たちは実業家であったり、
音楽家になった人、俳優さんになった人、政治にかかわっている人、
色々と活躍している人が大勢います。

日本は昔から、右ならえ!左ならえ! 整然と並ぶように訓練されてきました。
学校でも先生が質問する時には、『皆はどう思う?』という風に聞きます。
平均化、平等化を主体とした教え方が普通でした。

その質問に行儀のよい生徒、よく出来る生徒、ようするに優等生が手を上げて、
『そう思います』と答えると、先生はまた『他のみんなはどう思う?』と聞きます。
まわりの生徒は、あの人が手を上げているんだから、とにかく手を上げておこう。
という連鎖反応が起きます。

今も昔もあまり変らない同調によって仲間外れにならない様にする・・
それは日本社会の構造が延々と続いてきた理由と条件かもしれない。
日本列島は知ってのとおり、四面を海にかこまれた国だ。
せまい島の中での社会秩序をたもつにはもってこいの習慣だろう。

でも、第二次大戦がおわり、世界と急速に接近して来た近代において、
孤立した平均性、平等性を良しとするのは時代の流れを観ていない、
ということも言えるのではないか。

僕の例で申し訳ないが、先生と違う意見や考えを持っている場合、
僕は手を上げなかった生徒でした。

通信簿には、先生の指示に従わない、協調性がない、単独行動や
独断性があって少々問題です・・・と、いつも書かれていました。

学校の成績はそこそこ良い方でしたが、それとは関係なく、
一種の異端児として扱われるようになり、段々に不良と呼ばれる様になる。

ひどいのは『不良と遊ばないようにしろ、付き合うな』という風に、
どんどんエスカレートしてきて、自分自身でも不良だと思うようになった。

しかしここで考えて欲しいのは、独自の見解や考えを質問したり、
聞いたり、何故なのかを解明する為の行動も、協調性や調和をみだす、
という注意をされるのですが、欧米諸国の学校や社会では、
『皆はどう思う?』という質問ではなく、『君はどう思うか?』という
平均性や平等性よりも、個人としての考えや見解を聞く、
個性を重視した教え方をするのです。

個性が強い場合、日本では協調性のない者、適応しない者として
不良、仲間はずれの部類にいれるが、個性とは不良という事ではないはずです。
そういう意味において僕は逆説不良のすすめを説いています。

昔、僕の中学校時代の母校で『PTA総会、文化講演』なるものを
頼まれて一時間半お話をしましたが、講演の題名は『生き様について』で、
話の内容は『不良のすすめ』でした。

いまその不良だった少年はアメリカで画家となり、あちこちで個展を開催したり、
大学で講義をしたり、おまけに環太平洋親善文化大使にさえ任命されたのです。

自分を大切に出来ない、他力本願で信念を持たない人、そんな人が
政界や実業界でリーダーシップを発揮できる訳がないのです。
ましてや自分の夢を実現できるだけの力も無いのかもしれません。

不良・・大いに結構、ただし、人の命と魂の尊厳に沿っていればです。


Kudo Studio Japan:Webサイト
http://www.kudomuramasa.com/index.html
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