肝心帳 kudo studio
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自己の目覚めと確立
 生きている日々の事象には思いがけない事が沢山あります。多くの問題から素晴らしい出来事まで、毎日が驚きと感激の時間です。

 私のように人並み以上に多くの事をやって来た人間には、その感激や驚き、ワクワクする様なときめきが希薄に成ってきます。

 私は芸術畑で生かして頂いていますが、未だに納得のゆく作品が一点もできておりません。そういう思いの毎日でアーティストと自称することには真に心苦しく背信的な思いを抱いております。

 私は若いころ、どうにかして成功し皆の鼻をあかしてやろうと息込んでいたものです。

 創作活動をする様になっても、自分のスタイルと云うものを創り上げ、確立しようと模索し続けてきました。

 しかしながらスタイルと云うものは創れるものではなく、日々の研鑽と継続して創作し続ける事によって自ずから発露してくるものだったのです。

 蜃気楼のように内面からにじみ出てくるものであり、それは確固たるものでありながら、たおやかで静かなものなのです。

 そこに自我意識や作為があったり、作者の匂いがあるとクサイものに成ってしまうのです。

 内面の勉強は誰に対してのものでもなく、自己の確立と覚醒、小悟、小悟の積み重ねの結果が大悟へと結びつくのです。

 しかし、悟後の悟りをめざし、更なる研鑽、精進を重ね行く姿勢無き者には悟り地獄、悟り馬鹿という無知よりも悪いただの自己中心的な誹謗、中傷、批判家になってしまうのです。

 多くを勉強しすぎて逆に弊害となる事もなきにしもあらずです。知識を行動に移し見識となし、見識をもって生き続けることで胆識となり、一切にこだわらず流されずの境地の人を達人と呼びます。

 一流、名人と呼ばれる人は多いが、本当の達人と云う人は真に稀有な存在といえます。

 達人は百練自得、自己内観、そして木を観て森が解るまで淡々と、しかし無言の大声で呼びかけ、その静かな波動はあらゆる者の魂を揺さぶり、静眼の奥には宇宙をつら抜く燃えるような光りを静かにたずさえています。

 人は何とかしようと知らないうちに毎日頑張りすぎてしまう、疲れないのが不思議でしょう・・・私もそうであったように。

 他人と過去は変えることは出来ませんが、自分と未来は幾らでも変えていけます。そして自分が変われば世界が変わることを体感するのです。

 外には何もない、すべてこの世の事象は自己の内にしか存在していません。全ての一部であり、その一部の自己は全てなのです。

 葛藤は如何に生きても自己の内に生じます・・・それで善し・・・と受容できる自己、真我という自分にめぐり合える・・自己覚醒のときが来るまで聖戦は続きます。

 いかなる事情があっても、それは他人の介するところではありません。それで善しと決めた事が大事なのです。

 苦しみの無い命のお産はありません。どんな事にも多かれ少なかれ陰陽の衝突があります。その衝突が輝きとなっていくのです。

 自分を創るのではなく、真我の自己が発露されていく事が大切なのです。人の思惑などは海辺の砂のごとく微小なもの、砂の上を歩くたびに惑わされたならば、一切の歩みは 止まってしまい、命はかなく魂の火も風前のともし火と成ります。

 誰も私にはなれないし、私も誰かにはなれない、確固たる65億分の一の存在どうしです・・・ただそれだけなのです。そして65億分の一という希少な存在だということも認知することが大事です・・・そこから無限の感謝が生まれます。

 間違ってもいい、失敗してもいい、上手く生きる事などはどうでもいい、善く生きるということに精進して行って下さい。そこで人は本来の自己と対面できます。

 品格とはその人自身の波動です・・他人の波動に右往左往しない、確固たる教養をもち、そして大らかに、朗らかに笑うことです。

 陰陽は表裏一体です。どちらもなければいけません。いずれかを厭うのではなく、どちらも受容して観取し、前後裁断の想いで進み行くことです。


感謝、合掌
| Muramasa Kudo | 19:48 | comments(1) | - | pookmark |
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