肝心帳 kudo studio
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嘘偽の力などに、翻弄されない自分
 翻弄されない心とは、何であれ、あるがままに観取したものを、そのままが本当の姿だと見れる事です。 柳は緑、花は紅い、・・・・時節に従うのが自然の流れです。

 冬来たりならば春遠からじ、 冬長ければ秋の収穫偉大なり・・・です。

 自然の流れは人間だけでなく森羅万象ありとあらゆるものに有ります。

 仕事でも人間関係にしても、自然の中の一部であるという事を人は忘れてしまうのです。

 人間だけが万物の霊長などと勝手にほざいていますが、それは人間のおごり高ぶりで哺乳類動物だという事を忘れているのです。

 そしてその人間こそ地球史上で最悪の破壊的動物であるのです。

 物を作ることも出来ますが、作っては破壊し、作っては破壊、こりずに人類文明の歴史が始まって以来、延々と今もくり返す愚かさ。

 自然がチョッと怒っただけで、人間の普段の意気込みも科学もなにも通用しません。

 愛という字は心を受け入れるという字で構築されています。

 愛はぶつけるでもなく、押し付けるのでもなく淡々と深き想いにて日々の姿勢の中に表れる。

 多くの人が希望や願望を持っているのに、なぜこの願いが届かないのか? と悩んでいます。

 人間は何かを考えたり欲求したりしても、自分が何故そう思ったのか、という角度から自分の内面を見つめる事はまれなのです。

 世界には思ったとおりに生きている人達も大勢いて、その人たちは色々な事柄に対してそのままを観る柔軟な姿勢で居られる人たちです。

 人間は野生動物と違い、年に一、二度の発情期だけの求愛ではないし、動物には人間と違い時間という観念も幸か不幸かなどの考えもない。

 地球上の命は必ず伴侶に出逢う自然の摂理の中で生かされています。

 朝は朝、夜は夜、自然を思い通りに変える事はできないが、想いの中では出来ます。

 人の想いはレーザー光線のように真っ直ぐ飛んでいきます。

 ありとあらゆる想いは想念、祈りとなって対象へと届きます。

 しかしその想念の波動には発信する人の思惑が混入されています。

 強い想いで高められた思念、想念は善悪にかかわらず実現されます。

 あなたは自分のことをどう思っていますか? 自分という概念から離れて他人が観るように自分を観たことありますか?

 大概は知らぬ間に自分というものに対して低い見積もりをする様に養育、教育されてきました。

 それは自分を低いところへ置くことによって不要な対立を防ぐという、人間の考えた社会生活のための知恵だったのです。

 基本的にそうする事が善いことであると、暗黙のうちに植えつけられた観念です。

 それでいながらその社会の中で、いつも他と自分を比較しながら文句ばかり、五体満足な人間が一番不平不満をもっているのです。

 大事なことは探し求めるよりも、感性と観取の姿勢をしっかり持っているかです。

 神様は不公平だとよく聞きます。私にとっての神は一般的な愚像や宗教ではありません。

 宗教は必ず団体と化します。しかしながら大自然に立ち向かう力のないあらゆる生命には、自然の力こそ神と同義なのです。
 
 宗教は根本的な人間の弱さを救う手立てでもあります。

 宗教心も大切ですが、とても大事なのは信仰心を持つ事なのです。

 信仰心は自分が現実に生かされている事への畏敬の念です。

 そして自然の摂理に従って起こる事に対して恐れと敬意、感謝をわすれずにする事なのです。

 神が大自然、大宇宙の偉大な力だとすれば、どうして無神、不信でいられるだろう・・?

 一つの例として言える事だが、芸術という不必要(衣食住外)の必要性(魂と感性への栄養)こそ偉大な宇宙の真理です。光りと影の相対性、人間がいつもいだき悩み苦しむ矛盾というものへの疑問に答えるために芸術は生まれたものなのです。

 多くの人は”愛を受け止めてくれる人がいない”となげく・・・・

 熱き想い、愛はぶつけるものではなく、その想いを自分自身でシッカリと大切にし、そして認め、自分の愛の普遍性に感謝をするのです。

 その愛の波動は津波のように大きなうねりとなって波及し、自他共にその愛という調和のなかに居る事を知らしめられるのです。

 悲しい時も苦しい時も嬉しい時も、人間という創造力を与えられた命自体がすでに「人生すべてが芸術」という普遍の力の表現師なのです。

 その力を与えられた人間の魂に、想いを通す力が内在しない訳がない。

 自分に言い聞かせている言葉や想いのもつ凄さを知った上でいつも言っていますか?

 自分の中の深いところで、自分自身をシッカリ愛せる人間でなくて、どうして人を愛し、そして人の愛を受けとめられるのでしょう?

 自我という我をすてさった時、本当に素晴らしい真我という、何にも誰にも犯されず、翻弄されず、自由自在に思ったとおりの現実を起こす力を備えた真の創造する制作者となるのです。

 芸術に限らず、自分の目的や理想を目指す者にとっては辛苦という山あり谷ありの道だと心得るべきです。

 その困難や辛苦は高次元をめざす魂、精神を磨き輝かし、理想の想いを実現させずにはいられない。

 愛は普遍であり千変万化、ありとあらゆる形、状態、情況で眼前に現れます。

 その魂や愛を見抜く力、引き寄せる力は自分の奥深くいつも寝ています。

 真我というものは、安らぎながらもそのチャンスを自然に受容するうつわでもあるのです。

 いまの我々に何を心配する事があるのだろう・・・・・?

 先進諸国の現代人が贅沢する事や愛のしがらみで悩んでいる間に、世界中で食料や教材も買えず飢えと悲しみ、苦しみのうちに命の灯が消えていってる多くの人達がいる事を忘れがちではないだろうか?

 愛は世界を救う?自分を愛せない多くの人間が大声でいつも叫んでいます・・・その声はどのくらい本当に魂へと届くのか疑問ですが?

 自分が真剣に聖戦(自己との戦い)の真っただ中におどり出て、徹底して闘うその姿は、辛苦、悲哀、偽愛など、多くの俗悪な言葉などに翻弄させるスキや油断など少しもない。

 闘い続ける聖戦の場にこそその価値観を共有できる者同士と愛は存在するのです。

 そのまま観てそのままを受け入れる、それは対立や中傷誹謗もないあるがままだけです。

 善し悪しも、そのままに観て看取する事で多くの気づきや学ぶ事を知ってゆくのです。

 と信じ、私自身も聖戦の真っ最中です・・・

 萬謝を込めて・・合掌
| Muramasa Kudo | 20:43 | comments(0) | - | pookmark |
何か偉大な力の存在
 私は右の耳が完全に聞こえず、ギターを弾いていても右の耳で自分の出す音を聞きながら弾くものですが、直接耳に入ってくる音ではなく、出た音が反射して聴こえる音なのです・・・そして年から年中あたまの中で耳鳴りがしています。

 右耳のバランスの神経も切れて働いていません。眼をつぶって立てませんし・・・くつ下をはくときに片足では立っていられません。

 眼も老眼になり・・乱視もかなりひどくなってきました。

 若い頃の無理や金銭的にも大変だったので歯の治療も思うに任せず・・この歳で歯はガタガタです・・・固いおせんべいやカニなど好きなのに難しい・・

 脚も長年の絵描き生活で衰え、何年か前には血栓になり歩くのもまま成らなかったのですが、手術をして少しはましに成りました。

 そんな私ですが・・・人から見ると屈強で健康で幸せそうに見えるのです。

 そして私はそのようにシッカリと、そうです!・・・思って毎日を元気に生きています。

 皆さんはヘレンケラーをご存知だと思います。三重苦の彼女は世界の福祉制度を改革させた偉大な身障者です。世界中で講演をして回りましたね・・

 お話を聴いた人々の盛大で大きな拍手・・・彼女には聴こえていません・・見えもしません・・・しかし彼女は手を振って感謝の気持ちの笑顔でみんなに応えたのです。

 人間には五感というものが有って当たり前と思っている人がほとんどですが、なぜそれが当たり前なのか?大方の人がそうだから・・・と云うことだけです。

 人間はほんとうは五感ではなく、意識という六感までが備わっているのです。

 私達が普通六感と言っているのは、実は第7感なのです。

 相対性理論を発見したアインシュタインによると、この三次元の世界だけでなく九次元まではあるということがわかったと言っています。そしてそれ以上も存在する可能性がないとはいえない・・・とも言っています。

 そして現在はMITマサチューセッツ工科大学(この大学はノーベル賞受賞者を67人も輩出している)の研究では、宇宙物理学の研究では理論上では第16次元まであると言っています。 

 とてつもない高次元です。

 さて、ヘレンケラーのお話に戻ります。

 人間の生活そして保身の能力である六感があるというのが当たり前のようですが、本当はもっと偉大な感覚は、その上から始まるのです。

 人間の一つの感覚が遮断されると、50億年にわたって蓄積された生物のDNAの中から命を守る為のDNAにスイッチが入るのです。

 ヘレンケラーは三重苦です。五感のうちの三感が機能しない状況なのです。

 しかし、一感減るとDNAの中にいままで眠っていた、何か偉大な力が、信じがたい活動をはじめ、足りない感覚を援護、応援する保身への最大の力を発揮します。

 そして六感の先にある、第七感が降りてその人につく、そしてまたもう一つ減ると、第八感、また一つ減ると第九感がついてくる・・・・

 ベートーベンもそうでした、数え切れないくらいの多くの身障者が数え切れないくらいの奇跡を起こしました。

 もし野生の動物達が記憶や思考に頼っていたら絶滅します。森の中の自分の巣に戻る本能や、渡り鳥の何千キロも旅が出来る力・・・五感を超えたところで生きています。

 私は筑波大学の世界的な遺伝子の博士とお話をしました。クローン羊のメリーさん、それは乳腺の細胞を培養して生まれたものです。

 研究中に栄養を与え続けてきましたが、細胞は分裂もせず、また駄目か・・・とあきらめて、栄養をやるのもやめました。

 そして何日かして忘れていたその試験管を見てみたら・・・ものすごい勢いで細胞分裂が起きていたのです。

 博士はその事をこう言っていました。

 一個の細胞には30億以上のDNAがあります。そして乳腺の細胞はお乳をつくるDNAだけが働いていたのです。しかし、細胞が生命の危険を察知した時に、保身の為のありとあらゆるDNAがその30億以上の中からめをさまし、命を保護する為に活発に動き始めたのです。

 命の危険、絶体絶命の状況が眠っている奇跡のDNAにスイッチを入れることになったのです・・

 私は聞きました、それはどういう事ですか?と

 博士は、人間の科学はいま核も備えた細胞を造りだす事ができます・・・しかしその細胞は分裂や成長はどんなにやってもしないのです・・・。科学を超えた、人間の英知の及ばない・・・何か偉大な力・・サムシンググレート・・だけが命という偉大な生誕をする力を持っている・・・と。

 私は続けて聞きました・・・そのDNAのスイッチを入れたり切ったりする事を意識的にする事は可能ですか?

 博士は不可能とはいえない・・・ただ、サムシンググレートという偉大な力と交流できなければいけない。

 私はどういう風にですか?とまた聞きました。

 博士は・・一番ちかい方法は信じるという信念、そしてその信念に基づいて行われる想像力・・・それしか考えられない・・・最も近い行動をしているのは多分、禅僧が座禅して禅定に完全に入っている時の状態です。その時に無我の状態の奥には自由自在に宇宙のちからやサムシンググレートと交信交流できる状況下にあります。

 普段からその奥底の潜在意識に何を入れておくか・・・この想念というものがサムシンググレートと結ぶ奇跡を起こすものとしか考えられない・・・科学を超えた命と魂の哲学でしか説明がつかない・・・・。しかしそれは何であろうとも現実に存在します。

 私は自分の想って来たことはすべて正しいと確信したのです。

 あなたがあなた以外の人や外界に目を向けて比較対象して疑問を持つ事はあなた自身の宇宙の外で考えているにひとしいのです。外には何もないのです。すべてあなたの内面宇宙によってつかさどられた宇宙の姿なのです。

 すべてを受け入れ、これで善しっ!ときっぱりとそのままを受容した時に、サムシンググレートへの扉が開くのです。

 見えないものを観る、聞こえない音を聴く、さわれないものに触る・・・心的、神的な力は観世音菩薩の世界です。

 必要としなければDNAはねむったままなのです・・・

 どれだけ必要とされているか・・・強烈な想念がそれを伝え得るメッセンジャーなのです。

 あなたには心眼も心聴も超越感覚もすでに備わっているのです。 よくよく思い返してみてください。なにかを見てたり聞いたりしていて・・次にどうなるか・・何故だか知らないけど・・・先に判ってしまう・・そういうことが皆さんにも多々あった筈です。その感覚こそがサムシンググレートと瞬間交流した時点です。

皆さんの笑顔が楽しみです。

萬謝を込めて・・・祈念、万事好転、大願成就・・合掌

愚、工藤村正 拝
| Muramasa Kudo | 00:38 | comments(0) | - | pookmark |
思考と行動力を持つ細胞

 細胞一つの中に3億からの遺伝子が存在しているというのです。そして人間の身体の細胞は、11ヶ月もすると、全部が新生の細胞になっているのです。にもかかわらず、その遺伝子はそのまま成長を続け、またその経験知を伝達し存続させていくのです。

 第一優先事項という言葉がありますが、TPOでその順位はどんどん変わっていきます。 しかし、精神的な探究と追究においての第一優先は変更がない、それは現実以前の実現への可能性を基本とした精神構造とでも言えるかもしれない。それが視覚的想像力・・実現を可能にする大いなる力の発生元、その発生源はハイテクでも何でもない、アナログそのものです。

 人間の叡智は計り知れないものがありますが、偉大な力と交信が出来る機能は、想いや思考から派生する視覚的想像力というものです。もちろん、その想像力もシッカリとした精神の研鑽によって磨き上げられた魂であるに越した事はありません。どの様な想いであれ、山頂を目指して一歩を踏み出すという事は、すでに山頂を手前に引き寄せたと同じことなのです。

 細胞一個に3億から5億の遺伝子・・・大いなる力は大いなる視覚的想像力に刺激され、そのDNAのスイッチがオンになるのです。何かを求めるときには必ず代償を支払わなければならない・・陰と陽のごとく、必ず表裏一体なのです。どんな問題であったとしても、天はその人の持つ器量に入るものだけを与えてきます。時にそれは辛苦でもあります。

 また飽食の機会を与えられる事もあるでしょう・・しかし、天はその人が解決できない問題などは絶対に与えません。だからこそ一瞬を大切にする、今ここが大いなる事態、大事とはそういうことなのです。飽食を当たり前と思い、いつまでも同じ過ちを繰り返していく・・人間の気づかぬゆえの堕落、そして没落・・・

 勉強という言葉は読んで字のごとく・・・強いて力を免ずるです。肩から力を抜いて、ふと・・そのままの行動が、そのまま本来の善性、真我の発露となるのです。ふと・・生きれるようになる事を目指しています。

 内観という勉強方法がありますが、自分と対峙して逃げられない情況に自分から進んで飛び込んでいくというものです。苦しい勉強になるやも知れませんが、内観と云う過酷な勉強は、その本人以外にしかできないものです。自分の中の我欲や煩悩と向き合い、自分の中に善悪の両性のあることを認知、受容し、自分の中の悪性との凄絶な戦い(聖戦)を続ける事です。それ故に苦しく、殆どの人は始めて少し経つとすぐ逃避してしまいます。自分からは逃避できません、ただ本当の自分を無視し、隠すだけ。外へ目を向けてばかりで、内面を見(観)ず、表面上をつくろって、まるで間違いや欠点の無いような人物を振舞う・・空しい日々です。

 プロ(真実の自己)は苦しくなってきてから、それからがプロの仕事、仕事や勉強から絶対に逃げない、プロの姿勢、プロの生き様なのです。周囲に翻弄されない本当の自分、真我に目覚めた時、一つひとつの細胞は大いに刺激され、善性のDNAが目覚めるのです。

 危険な事は、その正反対に思考が悪性であっても同じ様に、細胞のDNAの目覚めには、悪性のスイッチが入ってしまうという事です。思考や想像はDNAを刺激し、そして現実化へと静かに行動を起こし始めます。

 素敵な健康的で建設的な想像や思考を日々めぐらせる様にしなければならない。何故ならば、人は生まれながらにして幸せになる権利をもってこの現世に出現しているのだから。

祈念、無病息災、萬福将来・・・合掌

愚人、村正
| Muramasa Kudo | 16:36 | comments(0) | - | pookmark |
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