肝心帳 kudo studio
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病気の心構えについて
 私のスタジオ(アトリエ)で一緒に住んでいる若者達にはいつも言っている事があります。

 それは風邪を引いたり具合が悪くなったら自分の部屋から出てこない事、勿論食事もみんな寝静まってから一人で食べる事・・・と、少し意地悪に思えるかもしれませんが、アメリカでは健康保険が国保ではないのでとてつもなく高額で、哀しいかな貧乏人は治療や入院も出来ない・・・という事が当たり前の世界です。

 先に述べたように、病気になったら飯も食えない!と分かると不思議な事に私のスタジオではインフルエンザだろうと他の病気であろうと、病気に掛からなくなってしまうから不思議です。

 人間はとても高度な波動や波長を持っています。思考と必要性が精神や潜在意識に即効でその影響を与えるのです。

 私もほとんどと言っていい位に病気に掛かりません。ありがたい事です。皆さんも身に覚えがないでしょうか?

 色々なおまじないと同じで、自分の中で必要不可欠的なプレッシャーというか、はらを決めた! という感じで何かに立ち向かう姿勢が出来上がる・・・その結果、多くの病気も問題も解決する事は今までの経験で見聞きして来ているので、とても安価な健康法だと思っています。

 もう今年の終わりも迫り、皆様も大晦日、年始を健康に、そして2008年の色々な出来事に感謝しながら、楽しく笑って(最高の健康法)お過ごし下さる事を祈っております。

 今年も一年、本当にありがとう御座いました。

祈念、無病息災、萬福招来、大願成就、身心全快、

萬謝、敬意を込めて・・・・拝礼、合掌

愚絵師、 工藤村正 拝、
| Muramasa Kudo | 14:19 | comments(7) | - | pookmark |
百八つ・・・除夜の鐘の音
不動明王 大晦日の夜中・・お寺の鐘が鳴りはじめる・・・ひとつ・・ふたつ・・みっつ・・・108つの鐘の音・・ この108つの鐘の音と共に、人間のもつ五情五欲の煩悩をはらってもらう・・もしくは音と共に忘却、滅却・・?

 人の煩悩は簡単に滅却できるほど生易しい相手ではありません。相当な修行の日々を送られている方のお話し・・・ブッダの悟りの様な感覚まで高めた人でなければ・・・と思うのです。

 私はべつな想いでとらえています。煩悩から逃れようとか、滅却できずに悶々と苦しむ事とは少し違うのです・・・自分の中に有る煩悩をシッカリと認識する事から始まると思うのです。

 人には四苦八苦が生まれたときからついて回るものだと昔から言われています。生・老・病・死・・・この四つについては皆さんも何度も聞いたことが有ると思います。

『生』・・この世に生を受け、生きていること自体にまつわる苦しみ

『老』・・歳と共にからだが思ったように動かなくなる、容貌もそして思考や記憶も定かでなくなる苦しみ

『病』・・健康を害し今までの様な普通の生活さえも大変難しく、不安や夢を打ちひしぐ苦しみ

『死』・・ほとんどの人が恐れ忌み嫌う・・自己の存在を決定的に否定されることへの苦しみ
     

 そしてもう四つあります。

『求不得苦』(ぐふえく)・・・欲しいものが手に入らない、自分の思った通りにいかない苦しみ

『憎怨会苦』(ぞうおんえく)・・・嫌な人にも会わなければならない苦しみ

『愛惜別苦』(あいせきべっく)・・・どんなに愛していても、いつかは必ず別れなければならない時が来るという苦しみ

『五蘊苦』(ごうんく)・・・・五体満足であれば健康的には何の苦しみも無い筈なのだが、それでも、寒い、暑い、痛い、痒い・・身体があること自体の苦しみ


 この様に最初の四つの苦しみが四苦、そしてあとの四つの苦しみを合わせて八苦・・・四苦八苦ということです。

 そして始めの四苦(九)・・四X九=三十六
 二つあわせた八苦(九)・・八X九=七十二

 この四苦と八苦の数字を合わせると=百八・・となります。

 一つの苦しみの中にも無造作に種々色々な悩みがあります。 そのように数え切れないほど・・・という意味での数字です。

 この108回の鐘の音を、自我の煩悩の存在をお教えてくれる命の深い所でつながっている、何か偉大な声として素直に受け止め、滅却できなくても自分の中にある正義と慈愛をもって、毅然とそして凛として将来に向かい果敢に生きる覚悟の時として想うべきことだと信じています。

冥土


 人はみな善良でありたいと願って当たり前ですが、人生において思わぬ失敗や、結果的に裏切る事になったり、思うようにいかない事も多々あります。

 そのように自分でも気が付かないうちに人の迷惑に成る事をしている時も多々あるということも念頭に入れて、限りある時間のなかで常に自分の内面(我)との闘い(聖戦)を続け、そして慈愛と自愛をつねに忘れぬ様にして毎日を凛として生きる。

 後ろめたい自分や、後悔している自分、楽しい時の自分、すべて自分です。その自分を目一杯素直になるまでしっかり自我と闘いながら生きる、そんな自分を愛してあげるのです。

 そして今この『命ある時』を大切にそして大らかに多くの方々との人生とともに生かされていることへ感謝しつつ・・


 萬謝を込めて・・・ありがとう御座います・・・合掌

 愚、工藤村正 拝

蝶々婦人
| Muramasa Kudo | 17:22 | comments(2) | - | pookmark |
若者とともに
 最近、私の友人で世界的な写真家ベンジャミン・リーという日本に何十年も住んでいながら一切日本語で会話しない面白い男からの紹介でアメリカへ来た人のまた友人(少しややこしいね)との会話の一部です。

 この20代の若者とはアメリカに長い間いて、本当に久々に出合ったとても素晴らしい日本人学生です。そして自分だけではなく毎回私の所へ来るたびに新しい仲間を連れて来て、私の退屈な話を聴かせる・・今どき珍しいとしか言えない(失礼!)M・N君である。

*本文

 君の文中に『正直に言って、なぜこんな自分に対してここまでのことをして下さるのか、理解出来ていない部分はありますが』とありますが、それは君だけを特別に扱っているのではなく、私自身の生き様であり、私の生きる上でのなすべき事をする、出来なかったのか、やらなかったのか?という私の自分の生き方、人生における実存の哲学にそった生き方の上で起きた縁という事象です。

 ただ、現代の多くの若者が道しるべを持たない、そして人間として、また日本という美しく、そして素晴らしい文化を背負って生れたにもかかわらず、性風紀のみだれや、安易な感情や欲望からおきる現代社会の多くの犯罪など、私の若いころの時代からは考えられない位に荒廃しています。
 しかしそれは若い人達や犯罪者だけが悪いのではなく、若者へ未来へと進む正しい道しるべを作らなかった、私の先輩や私の時代の多くの大人達がないがしろにしてきた結果であり事実なのです。

 大人が造って来た世界、物質文明への警鐘が鳴り響いているにもかかわらず、文明の発達のみを目指して来た結果、文化という人間本来のあるべき姿、そして考えや習慣を形成して行くものが廃退してしまったのです。
 これは今始まった事ではなく、何千年も昔からその時代、時代においても先代の人々が同じようになげいて居た事を繰り返しているのです。

 私は多くの若者に自分自身というものを明かにして行く(自己覚醒、自己確立)習慣を持って欲しいと願っているのです。それが未来という時代を輝けるものにして行く唯一の原点的な必須条件だという事なのです。

 学ぶ姿勢のあるものには必ず善き師となる人間があわられるものです。そして学ぶ姿勢(自分という我をすてる)が出来たときには自分の目指す道筋もハッキリ見えてくるのです。

 文面にするととても難しく感じるだろうと思うが、少しずつ、僅かずつでも建設的な考えへと移行しながら建設的に進んで行く事が大事です。

 私は少しでも自分の周りからでも善くなればいいな〜という、私の勝手なわがままな人生の一環だという事です・・私は弱虫だから・・・。
| Muramasa Kudo | 16:44 | comments(0) | - | pookmark |
思考と行動力を持つ細胞
 細胞一つの中に3億からの遺伝子が存在しているというのです。

 そして人間の身体の細胞は、11ヶ月もすると、全部が新生の細胞になっているのです。

 にもかかわらず、その遺伝子はそのまま成長を続け、またその経験知を伝達し存続させていくのです。

 第一優先事項という言葉がありますが、TPOでその順位はどんどん変わっていきます。

 しかし、精神的な探究と追究においての第一優先は変更がない、それは現実以前の実現への可能性を基本とした精神構造とでも言えるかもしれない。

 それが視覚的想像力・・実現を可能にする大いなる力の発生元、その発生源はハイテクでも何でもない、アナログそのものです。

 人間の叡智は計り知れないものがありますが、偉大な力と交信が出来る機能は、想いや思考から派生する視覚的想像力というものです。

 もちろん、その想像力もシッカリとした精神の研鑽によって磨き上げられた魂であるに越した事はありません。

 どの様な想いであれ、山頂を目指して一歩を踏み出すという事は、すでに山頂を手前に引き寄せたと同じことなのです。

 細胞一個に3億から5億の遺伝子・・・大いなる力は大いなる視覚的想像力に刺激され、そのDNAのスイッチがオンになるのです。

 何かを求めるときには必ず代償を支払わなければならない・・陰と陽のごとく、必ず表裏一体なのです。

 どんな問題であったとしても、天はその人の持つ器量に入るものだけを与えてきます。時にそれは辛苦でもあります。

 また飽食の機会を与えられる事もあるでしょう・・

 しかし、天はその人が解決できない問題などは絶対に与えません。

 だからこそ一瞬を大切にする、今ここが大いなる事態、大事とはそういうことなのです。飽食を当たり前と思い、いつまでも同じ過ちを繰り返していく・・人間の気づかぬゆえの堕落、そして没落・・・

 勉強という言葉は読んで字のごとく・・・強いて力を免ずるです。

 肩から力を抜いて、ふと・・そのままの行動が、そのまま本来の善性、真我の発露となるのです。

 ふと・・生きれるようになる事を目指しています。

 内観という勉強方法がありますが、自分と対峙して逃げられない情況に自分から進んで飛び込んでいくというものです。

 苦しい勉強になるやも知れませんが、内観と云う過酷な勉強は、その本人以外にしかできないものです。

 自分の中の我欲や煩悩と向き合い、自分の中に善悪の両性のあることを認知、受容し、自分の中の悪性との凄絶な戦い(聖戦)を続ける事です。

 それ故に苦しく、殆どの人は始めて少し経つとすぐ逃避してしまいます。

 自分からは逃避できません、ただ本当の自分を無視し、隠すだけ。

 外へ目を向けてばかりで、内面を見(観)ず、表面上をつくろって、まるで間違いや欠点の無いような人物を振舞う・・空しい日々です。

 プロ(真実の自己)は苦しくなってきてから、それからがプロの仕事、仕事や勉強から絶対に逃げない、プロの姿勢、プロの生き様なのです。

 周囲に翻弄されない本当の自分、真我に目覚めた時、一つひとつの細胞は大いに刺激され、善性のDNAが目覚めるのです。

 危険な事は、その正反対に思考が悪性であっても同じ様に、細胞のDNAの目覚めには、悪性のスイッチが入ってしまうという事です。

 思考や想像はDNAを刺激し、そして現実化へと静かに行動を起こし始めます。

 素敵な健康的で建設的な想像や思考を日々めぐらせる様にしなければならない。何故ならば、人は生まれながらにして幸せになる権利をもってこの現世に出現しているのだから。


祈念、無病息災、萬福将来・・・合掌

愚人、村正
| Muramasa Kudo | 22:22 | comments(0) | - | pookmark |
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