肝心帳 kudo studio
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一本の扇子から
今回は私の小中学校の同級生だった女性からの言葉を紹介し、
正反対な私の感情的に書いた返信も掲載しようと思います。

彼女は男まさりで小中学校を通じて私は彼女のイジメの対象でしたが
(今の様な陰険なものとはかなり違う)、頭脳明晰、運動能力抜群、
その後は青森放送のアナウンサーとして活躍、短編ドキュメンタリー
などでグランプリを受賞したり、その後は役員に迄昇格。

現在はHNK教育番組でお茶の講座などをする才媛です。
どういう訳か男友達というか・・そんな感じで昔から
話が出来る人で、しかしながら内面に秘める大和撫子の精神は
いまもなお深く脈打っているようです。


以下、彼女の言葉です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『一本の扇子から』


かつて日本人は、扇子を常に携帯していた。

装いの決まりであり、エチッケトでもあった。

物を出す時、扇子を軽く開いて、載せて差し出した。

挨拶をするときは、畳の居前に置き“結界”の役目をする。

立っている場合も同じで、社交に使われていた。

皇族のローブデコルテにも必ず扇子がつく。

こうしたマナーが廃れて日本人は“清品”さを失い、社会の秩序も

乱れた。


 紀元前、中国で考案された団扇が7世紀頃に日本に届き、これを

折り畳んで扇子が生まれた。

はじめは木簡を糸でつないでいたとか・・・

17世紀、中国を経由してパリに伝えられて大流行した。

パリでは羽飾りやレースを張って、お洒落なアクセサリーになった。

扇子を扱う店が150軒もあったという!

扇子は日本人が創ったものなのだ。

紙や竹を使ったはかないものが人を助け、威厳を引き出していた。

扇子模様は嫌いだけど、扇子は好きで集めている。


 汚れて役目の済んだ扇子を集めて燃やし、立ち上る炎をボーっと

見ていると、過ぎ越し方が思い出されて感慨深い。




以下、私の感情におもむくままに書いた返事・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


貴女の文体はとても美しく読み易く、そして何よりも

判り易いもので、流れるように書いているリズムは

とても心地良いものです。

 私に本を書けというのは未だピンと来ていませんが、

貴女は本を書かないのですか? 貴女が書いたものは、

文化的な背景を大事にする日本の精神であり真髄でもあり、

多くの教育現場や家庭においての団欒などで文化を継承して

いける様なそんな社会現象が起きても良いのでは? 

と思うのは私だけでは無い筈です。


 日本は明治維新より文明開化と称して急激な西洋文明を

我神の如く闇雲に取り入れ、挙句の果てには仏教を抹消

しようと寺院の破壊を平気でやってしまった事がある様に、

盲目的な狂信性を内に秘めた民俗でもあります。

 その思考と行動パターンはいつでもお役人様、お代官様の

指図、思惑を全てと受けとめる士農工商の悪性癖に他ならない。


 敗戦後はアメリカにひざまずくイエスマンとなり果て、自治国家

としての権威、誇りも失くしてしまったのです。

 現政治体制は幕末の江戸幕府の老中と何も大して変わりが無く、

井の蛙、大海を知らず身内だけでコソコソ物事を進める輩であり、

野党は与党に反対する事だけが大事だとばかりに、人の上げ足の

取り合い、責任転嫁、ああ言ったこう言ったと等、まるで子供の

喧嘩以下としか言い様のないバカバカしい事に血道を上げて騒ぎ、

国民の血税を平気で無駄遣いする国家公務の輩達は自覚など何も

無いに等しい、ましてや不明晰なその思考回路には、とうてい

慈悲心、思いやり、隣組の気遣いなどある訳が無いのです。


 他国への援助金などには気前良くいい顔する為に何千億でもポンポン

ばら撒き、自国の国民の窮状を見て見ぬ振りをし、血税を納め続けた

中小企業や社会貢献に努めて来た一般社会人へは救済の手も伸べない。

 兆という数字の還付金は一人当たり1万円チョッとであり、何の

足しになるのも解らず、それよりも何故血税と言われるのかを理解

する事が重要だと思うのです。

読んで字の如く血と汗の結晶を砕き国家へ奉納した尊いものなのです。

せめて過去7年間に納税して来た分の6,7割を無利子、無担保で

向こう5年間の貸付などで救済考慮をする温情の念があっても善い

のではないか?


 日本は自治国家であると信じている国民が殆どだと思います。

しかし、自治国家とは主権を明確に履行できる国体であり、日本はその

通例には当てはまらない主権不在の国なのです。

敗戦後、天皇は象徴として参政権を失い、首相は与党の身内で

決まる党首親玉であり、全国民が選んだアメリカ大統領の如くに

絶大な決定、拒否権を発令出来るほどの権限も無い、そして

国民は主権在民という憲法にうたわれた権限を理解しておらず、

相変わらずのお代官様、お役人様の言うなりでしかない。


 また自治国家の主権内容には、自国の利益、国民を守るために

宣戦布告の権利を有する事でもあります。

無論、戦争などは無いに越した事がないのは当然だが、外交問題

に消極的な日本人の主権不在のお役人体質は、諸外国の閣僚などの

思う壺でもあり、外国為替の操作をされ無理難題を次々と押し付けて

来るのも、日本の利権政治屋的な自己利益ばかり追いかけて来た、

世襲式になってしまった政治屋の小人的姑息な精神性を見抜かれて

いるからに他ならない。


 西欧文明の急進化と反比例して文化の衰退と廃退は、急激に加速して

もはや手の付けられない状態に迄なっています。

文明は世界の情報をリアルタイムで把握できるまでになり、その反面、

世界の多くの文化が西欧民主主義に淘汰され自国文化の衰廃退を促し、

教育から家庭形態の崩壊、性風俗の乱れを急激に増長し、うるわしき日本文化を

崩壊させてしまった、と云う事実は見逃せない!

その素晴らしい文化を再現、再建する事の難しさは破壊して来た我欲尊大な

輩達には解るまい。


 文化はお料理と同じで、材料の吟味、調達、下ごしらえからお皿に

盛られる迄、経験と云う時間、おもてなしと云う独特の敬愛をこめた

お料理を整えるには、悠久とも思える時間の経過が必要ですが、

食事を頂く時間はというと比べ様もない程に短いのです。

積み上げていく事は決して楽ではなく、時間も情熱も経済性も全てが

一丸とならなければ出来ない事であり、一方の破壊はビルの爆破と同様に

一瞬の内に崩れ去るのです。


 さてさて、また自分の感情の赴くまま書いてしまった駄文の為に

お時間を取らせ誠にご迷惑な事とお詫び申し上げます。

季節の変わり目故、どうかご自愛の程をお願い申し上げます。

菩薩 工藤村正
| Muramasa Kudo | 17:47 | comments(0) | - | pookmark |
最近の出来事
 今年になってから日記もコミュの更新も何もせずに結構時間が経ってしまい、私のウェブサイトの動きがまるで無いのを心配して友人知人から何度もメールが入りましたが・・・忙しさに書き込みをする事が出来ずにいました。

 また不在の折にもこうして皆様からのメッセージやコミュへの参加等、本当にあり難く拝読させて頂いております。ご返事を書くことがあまり無いのですが、何とぞご理解を頂けます事をお願い申し上げる次第です。

 今年に入ってからは、早乙女太一君とのコラボで描いた『千年の祈り』という絵を版画にして2月の新歌舞伎座の公演でつつましくお披露目をしました。そして4月29日からは広島の福屋というデパートで早乙女太一展とともに会場で展示され5月12日の太一君が会場に訪れて幕を閉じる・・・

早乙女太一

 三月には友人のトルシエ監督の誕生パーティーが沖縄で盛大に行われ、それに先立って私の絵をプレゼントしました。その時には私の友人の具志堅用高さんも一緒にパーティー会場にいて本当に楽しい晩餐会でした。

工藤村正 トルシエ

 そして今月の1日には昔OLクラブというテレ朝の朝の生番組で一緒に出演していた中山秀征、通称ヒデちゃんと食事をしてそのあと志村けんさんや上島りゅうへいさん等と飲みながら楽しい時間を過ごした時のスナップを掲載しました。

志村けん 中山秀征 ダチョウ倶楽部

 さて、私は昨年の11月から沖縄へ行く事が多くなり、今年に入ってすでに3度日本、沖縄と飛び回っている状況です。

 沖縄は十何年も前に那覇市に於いて二ヶ所の個展をやった事からその当時からの友人や知人と共に、新たな展開をする計画が持ち上がり、6月の後半には那覇にて三度目の個展をする事になりました。沖縄での第一の目的は私のアトリエを造る事ですが、これは十年以上も前から沖縄の友人達と計画していた事で、やっと現地の友人知人が協力をしてくれ、友人の一人は1000坪の景色の美しい場所に土地を寄贈してくれる事にもなり、私も60歳の還暦を迎えた昨年より本格的に沖縄移住計画を進めている訳ですが、アメリカを本拠地として1980年から活動を
して来たので、現在の大きなアートスタジオを縮小して、一年の半分は沖縄で制作活動して行こうという計画です。

 沖縄も含め、いま多くの方々とこれからの日本の将来や、子供や若者の未来について貢献できる計画や講演、懇談会、勉強会を進めて行く準備をしている最中です。

 また、同じ仲間が現在ゴルフリゾートホテルを経営していますが、新たに違った素敵なリゾートホテルを造る計画があり、私はそのデザインやアートで貢献する事になっています。

 今年は全ての人、全ての事においてのターニング・ポイントの年だと私は考えています。そしてこの新しい時をゼロからの再構築と考えて、新たな挑戦をして行こうと決心して過ごす毎日です。

 世界のニュースは戦争と不況、そして病気や悲しい事件ばかりで気が滅入る事も多々ありますが、大変な時が一番のチャンスと先輩である日拓レジャー産業の西村会長がいつも言っていました。

 不景気になるとどうしても経済的な圧迫感や心労が多くなりがちで私も例外ではありません。 絵描きという職業柄、贅沢品製造業となるので一番先に影響を受けます。でもこうして未だにアーティストとして生活させて頂いているのは全て今まで応援して頂いた方々のお陰様のちからです。還暦を過ぎて、また新たなチャレンジを新たな場所でできる事の幸せを皆様に萬謝の念をもって御礼申し上げる次第です。

 長いあいだ何も書き込みも更新もしなかったにも関わらず、こうしてまた皆さんに明るい報告ができる事を感謝申し上げます。また同じ様に、コミュのメンバーも知らぬ内に増え続けている事に驚きと感謝で一杯です。私の個展を今回は沖縄で開催しますが、追々に日本中で開催をする予定ですので、機会があれば皆様ともお会い出来る事もあると思います。

 長いあいだ書き込まなかった反動でだらだらと長文になりましたが、皆様の毎日が健康で明るくお過ごしできる事を真底より祈って止みません。

萬謝、陳謝をこめて・・・ 合掌

愚、工藤村正 拝

| Muramasa Kudo | 20:17 | comments(0) | - | pookmark |
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