肝心帳 kudo studio
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9.11、 メモリアル
 雨の中、ニューヨークでは2001年同時多発テロによる犠牲者の
メモリアル・セレモニーがとり行われた。

あれから8年、世界中でテロ行為への反発は大きいが、それにも
関わらずテロは頻繁に毎日のようにおきている。

戦争の歴史を見ると、ほとんどが宗教と人種が根底にあることが多い。
自国の利益の為にほかの国へ侵略をするのも、異人種に対しての
自責の念が薄く、いわゆるナショナリズムによって鼓舞いされ、人道を
無視した行為の数々は、何千年、何百年と歴史の中に刻まれてきた。

9 ・11のような大掛かりなテロはあまり起きてはいないが、小さな
自爆テロや公共での爆弾テロはあとを絶たない。

今しがた私のスタジオ(アトリエ)に大きな爆発音が聞こえてきた・・・。
近くにはロスアンジェルス空港もあり、ハッとテロを思い出してしまう。

2001年9月11日、早朝に惨事は起こった。

当時、私のスタジオにはテレビはあるが、電波受信するアンテナなど
無く、創作活動に不要なものは置かないという私の主旨で、新聞、
雑誌、など、一般的な生活の中にあるものもすべて排除していた。

そんな中で、当時スタジオで彫刻家として一緒に居た長男が、大声で
『父さんっ!アメリカ中が大変な事になっているっ!』私の寝室の
ドアを叩きながら叫んでいた。

長男は針金のハンガーを器用にアンテナにしてテレビを観て
いたらしく、早朝から緊急ニュースで同時多発テロのニュースが
相次いで飛び込んでくる。

当時ニューヨークには3男が住んでいた。
電話をしても通じない・・・心配で不安になった。
留守電を聞いてみると、3男の声が震え泣き叫んでいた。

『父さんっ!いまトレードセンターに飛行機が突っ込んだっ!
 燃えている! 今アパートの屋上から見ている!父さんっ!
 地獄だよっ!オーマイ・・・』

電話が突然切れていた・・・・心配だった。
夜中になり、やっと通じ始めた携帯で無事な事がわかり安心した。
しかし、無事ではなかった人が3000人以上もいた・・・。
その後も後遺症やトラウマで苦しむ人が大勢いる。

テレビを凝視していると2機目が突っ込んだ・・・そして少しの
時間が過ぎ、世界に誇った2つの貿易センターが崩れ落ちてゆく様を
みた・・・。

同時に国家保安局のペンタゴンへも突っ込んだ・・・・
そしてもう一機はニューヨーク郊外へと墜落した・・・。

ワシントンからは非常事態宣言が発令された。
2日間、一切の飛行機の離着陸を禁止した・・・。
許可の無い飛行は空軍によって撃墜するとの警告も出された。

アメリカは商用機、自家用機がいつも飛び交っている。
特にロスアンジェルスは、いつも空を見上げると10機以上は
飛んでいる、その飛んでいる飛行機の機影がなにも見えない・・・。

政府関係の建物、そして大きな公共建築物や橋は軍や警察で通行止め、
そして、あちこちに車止めのコンクリートが置かれた。

何日間かは異様な静けさがニューヨークと正反対にある、
ここ西海岸のロスアンジェルスも車の行きかう数も少なく、
夜は誰も出歩かない・・・不気味なくらい静寂があたりを包んでいた。

あれから8年、犠牲者の遺族が想いをあらたに涙している姿が哀しい。

人は幾度となく争いを繰り返してきた。
そして平和と見える日常の中にも大小の争そい事は耐えない・・・。

私の中にも葛藤している事が多々ある・・・静かに時が過ぎて欲しい。

平和、調和、敬愛・・・皆、心に望む社会・・・

いつかは到達できるのだろうか?
| Muramasa Kudo | 17:18 | comments(3) | - | pookmark |
LIF IS ART !
 『LIFE IS ART 』

という私のモットーにしている言葉は
1980年にアメリカへ渡り、初めての個展で使用したのが
初めでした。

その頃は丁度アメリカや日本の経済も上向きになり始め、
テレビでは『将軍』というジェームス・クラベラルという
知人の作家の本から制作された番組が大ヒットしており,
日本の事は本当の意味ではまだ認識されていない状況でした。

いまは世界中ではやっているお寿司もその頃は生魚を食べる
等という、いわば半げてもの的とも受け取られている頃です。

『LIFE IS ART』、本当の意味あいでは、誰でもがアーティスト
であるという私の信念からでた言葉です。

食事を作るのでも、吊るしの洋服を買って色々と着こなす事も
皆さんが毎日工夫をしながら、自分なりのアイデンティティを
もって一日を送る・・・芸術に関係する人間だけがアーティスト
などと驕り高ぶるのはもってのほか!という事なのです。

以前はやたらとテレビや雑誌などに引っ張り出されていましたが
当時にいつも前面に打ち出した私の姿勢の一貫でもあったのです。

絵描きでなくとも想像の中でのアートを楽しむという事は、本当の
アートの楽しみ方になっているのです。
私はいつも欲求に触発された想像こそが総ての始まりだと皆さんに
お話します。
何をするのでも想像という素晴らしい人間だけに 与えられた能力、
その能力を人生の調和、そして豊かにするために使う・・・

今はその逆に使われる(無意識に)事が多すぎて、末世の様相に
なって来ています。

絵、彫刻、家具、何でもいいのですが、それは個人の好き嫌いで
判断していいことなのです。 
私が好きだからといって、みなさんが好きだとは限りません。
ニンジンにも好きな人や嫌いな人がいて、好き嫌いについて議論を
されるのはニンジンにとって大きな迷惑です。

絵を描かない人が評論家をし、唄えない人が音楽を評論する・・・

人は、好きなところで好きな人と好きなものを共有出来るから・・
もしくは自分ひとりでもかまわない・・その一つのものが心に
やすらぎを与え、生活の一部として豊かな感性や感情を育む事が
できるのであれば、その一つは誰がなんと言おうと、その人に とって
とても素晴らしい宝物なのです。

自分の大切にしている一枚の古ぼけた写真、他の人には何の価値も
無いものでも、その人にとっては家が火事でもそれだけは大事に
持ち出す・・・と同じです。

価値観は自分にとってのものであって、人から押しつけられたもの
ではないと云うことです。
これからも皆さんの価値観で楽しく元気になるものを発見して
心豊かな日々を送られることを祈念いたして止みません。

どうぞ今日もすこやかにお過ごし下さいます様に・・・
| Muramasa Kudo | 17:14 | comments(2) | - | pookmark |
本当に哀しい事って?
 ある探検家がアフリカの奥地へ行って原住民の子供達とたのしく
遊んだあと、子供達にキャンディーをわけて上げた。

子供達はいままで食べた事もなかった美味しいキャンディーを
口にほおばり、本当に幸せそうな満面の笑顔でした。

探検家はその笑顔を見て一緒に幸せな気分を味わいました。

そして探検家は、アフリカの奥地をあとにして自分の国へ
帰って行きました。

あとに残された原住民の子供達は残りのキャンディーをすべて
食べつくしてしまった。

子供達は生まれた時から口にしていた自然の甘いものや食べ物を、
今はまずいと感じていた。

子供達は毎日のように『あ〜ぁ〜、あのキャンディーが食べたいな〜』
と繰り返していた。

この原住民の子供達の人生にとって、キャンディーを知った事は
素晴らしい出来事だったのだろうか?


人は親切心で喜んでもらおうと思ってした事だが、知らなければ、
経験していなければ、今まで美味しいと思ったものをまずく感じたり、
無いものを欲しがる欲望というものも芽生える事が無かったかも
知れない・・・。

勿論、その逆も大いにある訳で、自分にとって本当に必要な事は
何なのかを熟慮し、そして認識し、自覚したうえで行動に移す事が
大切だと思うのです。

親切を決して安易に考えてはならない、相手が自分でできる事にさえ
親切という名の、余計な手出しをする事は相手の魂への陵辱と同じだ
と思うのです。
何故なら、その人の挑戦する意思、意欲やチャンスを取り上げる事に
なり、結局は安易に人の助けをあてにする依存症人間にしてしまう事
もありうるからだ。

親が子供を甘やかす・・・親切や愛とは言いがたい、子供にとって
いい親でいたいという潜在的な思いが根底にある故の行動でもある
(自己の思惑)、そればかりとは言えないが、親身と甘やかしには
天地の差がある。

現代の多くの大人達も『鍵っ子』と呼ばれた時代があった。
物質社会においては、お金=力 という考えがうまれて以来、
鍵っ子達もお小遣いや物質的な可愛がりを当然のように受け、
それが善い事と思い育ってきた。

もちろん、先の話のように子供達の精神や感性は、まだ社会の
荒波の洗礼を受けていない状態のなかで、お金と物質による力を
幸せと感じる様になった事は否定できないし、彼らだけの責任とは
言えまい。

経済成長を第一に日本中がお金、お金になり、共稼ぎや核家族への
移行、生活向上のために家庭という大切な文化が廃退していくという
大きな犠牲のもとに貨幣経済のよる飽食の時代をむかえた顕著な例だ。

お金や力が何より大切になってしまった人達・・・先だっての
メキシコの漁師の話のような、シンプルな幸せを普通として受け
入れる事は出来ないかも・・・とても憐れに思えるのは私だけか?

いま多くの人が経済不況で苦しい立場に成っている・・・画家の私も
その一人だが・・・・どんな状況に置かれていようと、自分の命と
魂の尊厳はそう簡単にはギブアップなどしないのです。

人として生きる上で大切な事は、人が作ったモラルや常識、決め事、
法律・・・何にしても完全なものなど一つも無いという事を認識して
おく事だ。
その上で、すべての命と魂の尊厳を大切にし、尊重して傷つけない
事だけをシッカリと守れば善い。

勿論、社会の中で生きる上ではナンセンスな常識も横行しているが、
自分の芯が真っ直ぐちゃんとしていれば戸惑うことも翻弄される事も
なく、自他批判、卑下することも無い。

人は万能の神ではない・・・が、しかし万能の力と交信し交流を
持つ事は可能だ。
| Muramasa Kudo | 21:03 | comments(2) | - | pookmark |
普通に大変
 大変など奇跡的な事ではない、だから大変は普通のこと、
気重になる感情など邪魔になるものを排除する精神力さえ
あればいい、知らずの内に習慣になった歯を磨くように、
普通にやる事をやる、出来る事からやればいい・・・
出来ない事で悩むより、できる事を通じて出来ない事も
出来るようになる・・・それが習慣になるまでの辛抱だ。

どんな時でも大変だといえば全て大変であって、簡単な
事など一つも無いが、それに取り組む事は学校での勉強と
同じで、行きたくなくても絶対にいかなければならない、
そして後々に勉強しておいて本当に良かった〜、と思うときが
必ず来る。

大変という一つの坂を登りきった時、振り返ってみれば登りは
下りと同じだという事に気がつくのでは?

全ての物事や自然界に存在するものは表裏一体でなっている。
辛苦を経験し、問題の壁を破り大変な山を越えた時の安堵感や、
ふつふつと湧いてくる自信や希望は、その裏づけになる辛苦という
経緯がなければ得られないものです。

私の人生はいつも大変でした。いつも大変だったから大変と言う
事に関して免疫が出来ているのかもしれないが、ストレスという
医学的な言葉での症状は自分には起きていない、起きているのかも
しれないが、普段するべき事をしなければならない事がストレスに
成るというのであれば、歯を磨く事自体さえもストレスの原因と
なってもおかしくはない筈で、私は目の前のするべき事をする、
そして人事を尽くして天にゆだねる・・・それだけです。

それでも人間の思いや想像力の力で増幅される不安とか期待感
とかに振り回されないようにするのには、自分の原理・原則(信念)を
いつも自分の中でくり返し言い聞かせることが大切です。

ストレスは思うように行かないときに感情や期待感、不安感、猜疑心
などが入り混じって情緒の不安定を生んだすえの症状です。

思考は現実化されるというのは善し悪しに関係なく私の生きる
原理・原則の中ではまさにその通りだと言い切ります。

だからこそ何をどういう風に考え、想い描いているのかが重要で、
ただ闇雲に考えるという事は、先に進むべき目的地を設定していないで
船を出して海上を漂うだけの結果になりがちなのは否定できない。

一度設定した物事でも、第一優先事項はつねに思惑とは関係なく
変更しなければならない事態も起きるが、常に柔軟な思考をもって
対処して行く・・・私は常にこれを実行して来たし、実行せざるを
得ないという日々に身を置いてきたわけです。

変更、変革、改革は変えて行くという強い意志によって初めて出来る。

人から見て、私という人間が落ち込んで居るのを見た事が無いとか、
そのようには見えないとよく言われるが、それは少なくとも現状をよく
見ながら、出来る出来ないの判断を下すのに闇雲に不安を先行させて
考える様なことは決してないからだと思うのです。

いつでも、そして今迄も一度として死んだ事もないし、飢えで
餓死寸前になった事もない、小さい時でさえも生きる為にそれなりに
工夫していた筈。
だれでもが多くの諸問題をふくめ毎日の生活を考えながら生きている
訳だが、大小に関わらず、一つの問題にはまり込んだ時点で、
前後裁断、即決即断をする決心や決断力が消沈して出来なくなって
しまうのです。

世界中が不景気で大変だ大変だと見聞きし、それを取り込み心労を
重ねる事でストレスとしてしまうのか、それとも大きなチャレンジ
として、自分の精神の次元を上げて行く試金石とするのかは自分の
意思でどっちにでも選択肢がある訳だから、私は必然のこととして
後者を選ぶ訳です。

何はともあれ死んでいない自分は毎日確認できている訳だから、
何を恐れる事があるだろう・・・、笑われる事も多々あるが、私は
絶対に大丈夫だ!という、まことに根拠の無い自信が私を支えている
のです。

それは死ぬまではどんな事があっても、ちゃんと生かされるという
自然の法則、摂理、原理に全幅の信頼を置いているから、と云う
ことになるだろう。

生かされて生き、想い描いて変化・進化への行動があってなんぼの
人生、生かされている間、時空を大いに駆け回り飛びまわりたい
ものです。

長々と読んで頂き、ありがとう御座いました。

感謝、合掌
| Muramasa Kudo | 18:21 | comments(2) | - | pookmark |
モチベーション
 いつも日本へ行くと色々な人達と出逢いがあり、その多くは
自己保身がとても強く感じられる事も確かですが、昔の言葉に、
捨ててこそ浮かぶこの世の流れかな・・みたいなそんな言葉が
あるが、私は物に執着する事がないので楽です。
人に上げたり余分な物を売ったりする事も苦にならない分ラッキーです。

今回は化粧品会社の主催のセミナーで2時間くらい講演と言うか
村正語録の様な話をしましたが、その会社と取引している
ヘアーサロンの人達が80人くらい来ていて、えらく感動して
多くの人がメモの書きまくりをしていました。
中には感動して涙する人も居ましたが、私が一番感心したのは、
その多くが20代30代の人達でしたがとてもテンションが高く
やる気満々の元気な人達ばかりでした。

そんなハイテンションな人達に話をしていると、自分自身も
テンションが上がり、気がついたら2時間も喋っていた!

この時代どんな仕事でも大変であるにもかかわらず、競争が激しい
彼らの業界においても抜群な仕事をしている事実は、やはり自己の
研鑽とお互いが啓蒙しあい刺激しあい、そして切磋琢磨しながらも
チームワーク、コミュニケーションがとても良いという事です。
勉強する姿勢は今の私自身よりも遥かに優れていると感じました。

その殆どは見習いからそして独立し、経営者として成功するのに
一番必要な情熱と信念を持って行動していると言うことです。

私はこの世界的な経済恐慌のなかで、今また新たな挑戦を強いられることは
私にとって決して辛いものではなく、挑戦し続けられる事への感謝です。

あれもこれもと迷い続けた若い日々、そして責任と自分の仕事への
重圧は決して楽しいものではないが、それ全てが自分の血肉となり
自己の潜在能力の発露へと繋がっている事は私の人生を振り返れば
明白なことなので、いつも心機一転の覚悟で頑張れるのです。

一芸に秀いずる者は百芸に通ず・・・と言います。
誰しもがひとつの事をやり続けることで自分という者を磨いてきた筈です。
その事実を信念と信心をもって自己を誉め、叱咤激励しながら新たな
挑戦を常にして行く事それ自体もまた本当の幸せであると思うのです。

天は努力無い者には味方などしてくれません、そして辛苦の道を
切り開こうとする人に手を差しのべる・・・お金も底が空っぽになって
初めて新たなお金が入って来る・・・それで善し、足る事を知るです。

いまだに私は絵描きとして生かされていますが、それは自分の本分に
専念し、固い信念があればこそ継続してこれたし、多くの人に理解して
頂いたわけです。
そしてこれからも同じ様に絵描きの村正として生きて行くでしょう。

何はともあれ、自己内観(自己との対面)が一番大切な勉強です。
どんな人の問題でもその人に解決できないような問題は天は与えない!
私はいつもそれを信じて壁を破り荒波をかいくぐって来れました。

本当に大変な時こそ天はその人の人格や力を試しそして育んでいるのです。
だからこそめげない自分、こだわりを持たず、片寄らず、留まらず、
自分の感情や人の思惑に流されない、凛とした姿勢で諦めずに物事に
対処し臨む(のぞむ)ことが大切な一瞬の大事という事です。

大変という事は大きく変わる、変動、変化するという事なのですから、
善い意味でその流れに乗って(流されず)泳ぎきる事も出来ると言う事です。

偉そうな事ばかりいつも書いていますが、私自身、この経済不況のなかで
情熱というかがり火を絶やさずに、日々精進し続けることが出来るかと、
日夜苦しんでいるというのが正直な思いです。

どんな問題も、良かれ悪しかれ必ず解決するのは歴史を見れば明白です。
そしていつも諦めずに、前向きに建設的な想いをめぐらせて生きる!
それが自分の近い未来から遠い未来まで、現実をを創り上げる想念、
実現のための視覚的想像力の信念と念力です。

と・・・私はいつも自分に言い聞かせているのです。
| Muramasa Kudo | 18:17 | comments(0) | - | pookmark |
弱虫だからこそ・・・
 書き込みは本当にたまにしかやらない面倒臭がりやで、
それでいて気持ちの上では焦っているのです。

八月はあっという間に過ぎてはや九月、今月もまた
日本へと足を伸ばします。

日本の八月は夏休みやお盆休みと重なって、予定していた
友人知人と半数の人としかお会いできなかった・・

そんな中で六本木にあるレラ化粧品の安田会長の招きで
セミナーに参加する事になり、私も一言といわれて・・
それが2時間ものあいだ独壇場と化してしまいました。
会長は微笑んで聴いていてくれましたが・・・

その多くはヘアーサロンの方々が大半でしたが、そのテンションの
高さと集中力は素晴らしいものでした。

多くの人がメモを書きとめ、熱心に聴いている姿はアメリカの大学生
に講義した時よりも数段高い次元を感じ、ついつい熱弁とあいなった
訳ですが、誰も途中で席を立つわけでもなく、嬉々とした情熱的な
顔、顔、顔・・・その波動が伝わってきて、とても心地の良い
セミナーでした。


さて、セミナーや講演では私の経験や多くの例を取り上げながら
色々とお話をしていますが、その内容や言葉に関してあえて言うと、
私は自分で出来ていない事も多々ある上で話しています。

私は皆さんに語りかけ教えるなどという大胆な驕りは
毛頭ないのです・・・私自身が五情五欲の俗人で
自分の理想とする自身の姿を追い求めて人生の
旅をし続けている・・・ただの我がまま絵描きなのです。

私の書く言葉は、私が自分に課した勉強、修身の言葉です。
私自身が道をはずれぬように・・・と
自分に日々言い聞かせている言葉なのです。

私は聖人偉人でもありません・・・しかし自分の
五情五欲の世界から一歩でも遠ざかりたい・・臆病で
弱虫だからこそ・・真理にしがみついているのです。

そして真理と云うものの本体、本質はすべて自己の
内面奥深くに、私の我(が)という重石のされた蓋で
永いあいだ閉じ込められていたのです。

私は自分の弱さと不甲斐なさ、そして五情五欲の
猥雑な俗念は消えはしない・・・と悟覚したのです。

いかにこの猥雑な自我を取り押さえ、そして言う事を
聞かせることが出来るか・・・の毎日でした。

それは今も継続して闘い続けねばならない程に自分は
臆病で弱虫なのです。

私は自分の弱虫という虫を今は大事に育てています。
いつか蝶の様に大空へと飛翔する事を想いながら・・・
| Muramasa Kudo | 18:15 | comments(0) | - | pookmark |
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