肝心帳 kudo studio
Page: 1/1   
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | | - | - | pookmark |
未来は自分で創る

他人と過去は変える事はできない、しかし自分と未来を変える事は出来る!
自分の根底(潜在的に持っている意識)を見つめる勉強、それは内観という
結構しんどい勉強でもありますが、自分の我、自分という変幻自在の化け物と
対峙し、決して自分からは逃避できないという事をシッカリと認識し、そして
自我という制御しづらい五情五欲を統制できる様になるまで続け、そして尚かつ
忘れぬように常に自己内面への注意を払い続ける事です。
内面の自己闘争、これを私は聖戦と呼んでいます。

あとは日々自分というものを第三者の目で観る訓練をすることです。

『観る』という事と『見る』という二つの言葉の意味は天地の差があります。
観るという事は観世音、すなわち見えないもの(感性)を観るという事です。

皆が知っていることわざで、見ざる言わざる聞かざる・・は本来の意味で
シカトする事や無視するという事ではありません。
目を閉じて自分の本来の姿を思い浮かべ、あるべき姿を確認し、
耳をふさぎ聞こえそうも無い内からの善なる声に耳を傾け、
口を閉じ自分の中の本当の姿(善し悪しを含め)に問いかける、
あくまでも真我という自我から解放された真の自由を持つ力強い
自分へと進化、変化、改革を進めるための内観法なのです。

さて、アマチュアとプロの差は駄目だ飽きたと思った時点でどういう
決断をするかで決まっています。
アマチュアの行動は趣味という枠の中で絵でも何でもやるが、失敗したり
飽きたりしたらすぐ止める捨てる、もしくはもう一度新しい紙なりキャンバス
なりの材料を使うが、プロは失敗した時点、飽きた時点からその失敗、飽きを 
いかに克服し完成させるかを考え行動する。

どんなに大変でも挑戦し続けている以上は失敗しても何でも挫折とは言わない。
挫折は諦めてギブアップした時、降参した時点でその呼称となる。
継続こそ才能という花を咲かせる唯一の栄養素であり、それが結果(実をつける)
となる事をプロはよ〜く知っているのです。

こだわらず、かたよらず、かたまらず、とどまらず、ながされず、そして
あきらめず・・・自分の進む道は自分の前にしかない、成功も失敗も将来には無い!
全ては経験という過去形の結果をあらわす呼称なのです。

自分の歩いて来た足跡を自己の道と呼び、成功や失敗と呼ぶ。
そして人はその足跡をみて誉めたりけなしたりするが、それは自分の事では
ないからできる事で、いざ自分の事となると大いに反発したり発奮する事になる。

歩かずして前には進まない、倒れるまでは立っている、生かされているうちは
死んではいない、だから生かされている内に大切な命を燻ぶらせずにシッカリと
燃やし尽くす覚悟で日々を送り、そして疲れ過ぎない様に飽きないように日々
楽しく、そして力み過ぎず自分を信じて精進する事です。

我ン張らずに、楽しく頑張りましょう。

| Muramasa Kudo | 19:56 | comments(0) | - | pookmark |
純粋性・・
 雪の白さは純粋に近い色・・・

もっと純粋になると透明になる・・・

透明な雪・・・・美しくないかも・・・


日本刀をご存知と思いますが、鉄で出来ています

そして玉鋼(たまはがね)という超高温で創られた

ものを折り込んで一緒に一つの塊にします。

最初は約10kgくらいの塊ですが、何度も

打ち鍛えられるうちに最終的には約1kg位なります。

約9kgの不純物が高温と鍛錬によって排除され

残された鉄は純鉄の鋼(はがね)になります。

だから日本刀は鏡のように透明感のある白に近い

地肌の色を持っているのです。

過酷に鍛えられた工程の圧力や高温が純粋な刀を創ります。


ダイヤは純単一炭素です。炭や鉛筆の芯と同じ成分

ですが純粋だから透明でそして想像を絶する過酷な

高温、高圧(辛苦と同じ)条件を通過したあとにのみ

出現するのです。


人間の精神、魂も・・多分同じ様に困難・辛苦が多ければ

多いほど、その魂の純粋性は限りなく透明になって

行くのでしょう・・・そこには辛苦に耐えきる想念、

かならずやり遂げるぞ!という強い信念が必要です。


楽器の音も同じ様に、その弾き手のエネルギーを

波動に変え、その音の純粋性はそのままその人の

魂の透明度になって行くのです
| Muramasa Kudo | 20:38 | comments(0) | - | pookmark |
翻弄(ほんろう)されない心、 (再=復習)
 翻弄(ほんろう)されない・・・シッカリとした自分であるために。


柳は緑、花は紅い、(そのまま自然に)・・・・
その時々の季節や時節に従うのが自然の流れです。

冬来たりならば春遠からじ、 冬長ければ秋の収穫偉大なり・・・

冬がきたら次は春が来るし、冬が長いと雪や雨も多いから秋の収穫は
ふつう以上になる・・

自然の流れは人間だけでなく森羅万象(大自然のすべて)の
ありとあらゆるものに有ります。

仕事でも人間関係にしても、すべては自然の中の一部の
できごとだという事を人は忘れてしまうのです。

人間だけが万物の霊長(最高の生き物)などと勝手に
ほざいていますが、それは人間のおごり高ぶりであり、
人間も哺乳類動物だという事を忘れているのです。

そして、その人間こそ地球史上で最悪の破壊的動物であるのです。

物を作ることも出来ますが、作っては破壊し、作っては破壊、
こりずに人類の歴史が始まって以来、延々と今もくり返すおろかさ。

地震や台風など、自然がチョッと怒っただけで、
人間の普段の意気込みも科学もなにも通用しません。


愛という字は心を受け入れるという字で作られています。

愛はぶつけるでもなく、押し付けるのでもなく淡々と
深い想いによって、自分の日々の姿勢の中に表れる。

多くの人が希望や願望を持っているのに、なぜこの願いが
届かないのか? と悩んでいます。

人間は何かを考えたり欲求したりしても、自分が何故そう思ったのか、
という角度から自分の自分自身の内面を見つめる事はまれなのです。

世界には思ったとおりに生きている人達も大勢いて、その人たちは
色々な事柄に対してそのままを観る(見るよりも観察に近い)柔軟な
姿勢をもっている人たちです。

人間は野生動物と違い、年に一、二度の発情期だけの求愛ではないし、
また動物には人間と違い

時間という観念も幸せとか不幸だとか、そして計画性や想像力などもない。

地球上の命は必ずいっしょになる相手に出逢う自然のながれの中で
生かされています。

朝は朝、夜は夜、自然を思い通りに変える事はできないが、想像の中で
はだれでも出来ます。

人の想いはレーザー光線のように真っ直ぐ飛んでいきます。

ありとあらゆる想いは想念、祈りとなって対象へと届きます。

しかしその想念の波動には発信する人の思惑もはいっています。

強い想いで高められた思念、想念(どっちも波動)は善悪に
かかわらず、いずれ現実化されます。

あなたは自分のことをどう思っていますか? 自分という概念から
離れて、他人が観るように自分を観たことありますか?

たいがいは知らぬ間に自分というものに対して低い見積もりを
する様に養育、教育されてきました。

それは自分を低いところへ置くことによって不要な対立を防ぐという、
人間の考えた社会生活のための知恵だったのです。

基本的にそうする事が良いことであると、知らないうちに
植えつけられた観念です。

それでいながらその社会の中で、いつも他人と自分を比較しながら
文句ばかり、五体満足な人間が一番不平不満をもっているのです。

大事なことは、探し求めるよりも感性と観取(感じ取る)の姿勢を
しっかり持っているかです。

今までも、あちこちで神様は不公平だとよく聞きました。

私にとっての神は一般的な愚像や宗教ではありません。

しかしながら大自然に立ち向かう
力のないあらゆる生命には、自然の力こそ神と同じなのです。

宗教は基本的には人間の弱さを救う手立てでもありますが、
宗教は必ず団体と化します。

そして今も続く宗教戦争といった宗派間の争いは、逆に多くの
人命を奪うことにもなっているのは本当に皮肉な事です。

宗教心も大切ですが、とても大事なのは信仰心を持つ事なのです。

信仰心は自分が現実に生かされている事への感謝の思いです。

そして人間がどうにも出来ない大自然に起きる事に対して
恐れと敬意、感謝をわすれない様にする事なのです。

神が大自然、大宇宙の偉大な力だとすれば、どうして無神論、
不神論でいられるだろう・・?

一つの例として言える事だが、芸術という不必要(衣食住外)の
必要性(魂と感性への栄養)こそ偉大な宇宙の真理です。

光りと影の相対性、人間がいつもいだき悩み苦しむ【矛盾】と
いうものへの疑問に答えるために芸術は生まれたものなのでは・・
と思うのです。

多くの人は ”愛を受け止めてくれる人がいない” となげく・・

熱き想い、愛はぶつけるものではなく、その想いを自分自身で
シッカリと大切にし、そして認め、自分の愛の普遍性に
感謝をするのです。

その愛の波動は津波のように大きなうねりとなって波及し、自他共に
その愛という調和のなかにいる事を知らしめられるのです。

私は 《Life is art》 「人生はすべてが芸術」という事実に
たどりつきました。

そしてその考えた言葉を私の生きるモットーとしたのです。

悲しい時も苦しい時も嬉しい時も、人間という創造力を与えられた
精神、魂、心そのものが、想像し考え、試行錯誤しながら
つくり上げて行く・・・生命力を表現する者なのです。

その力を与えられた人間の魂に、想いを通す(かなえる)力が
内在しない訳がない。


あなたは自分に言い聞かせている言葉や考え、想像力のもつ
素晴らしさやこわさを知った上で、それをやっていますか?

自分の中の深いところで、自分自身をシッカリ愛せる人間でなくて、
どうして人を愛し、そして人の愛を受けとめられるのでしょう?

自我という我(が)をすてさった時、本当に素晴らしい真我という、
何にも誰にも犯されず、翻弄されず、自由自在に思ったとおりの
現実を起こす力を備えた、自分の人生を創造する者となるのです。

芸術に限らず、自分の目的や理想を目指す者は、喜怒哀楽、
辛苦という山あり谷ありの道だと覚悟しなければいけない。

その困難や辛苦は高い次元をめざす魂、精神を磨き輝かし、
理想の想いを実現させることになるのです。

愛は形のないものであり千変万化、ありとあらゆる形、状態、情況で
目の前に現れます。

その魂や愛を見抜く力、引き寄せる力は自分の奥深くにあって、
大体においていつも寝ているようです(起さなくてはいけない)。


真我というものは、安らぎながらも大事なチャンスを
自然に受け入れられるうつわでもあるのです。

いまの私たちには何を心配する事があるのだろう・・・・・?
それは我欲を満たせるかどうか・・なのでは?

先進諸国の現代人が贅沢する事や愛のしがらみで悩んでいる間に、
世界中で食料や教材も買えず飢えと悲しみ、苦しみのうちに命の灯が
消えていってる多くの人達がいる事を忘れてはいないだろうか?

愛は世界を救う・・・その通りです、しかし自分も愛せない
多くの人が同じ事を大声でいつも叫んでいます・・・

その声はどのくらい本当に魂へと届くのか疑問ですが・・・?

自分が真剣に聖戦(自己との戦い)の真っただ中におどり出て、
徹底して闘うその姿は、辛苦、悲哀、偽愛など、多くの俗悪な
うわさや言葉などに、翻弄(ほんろう)させる隙(すき・油断)など
少しもない。

自分と闘い続ける聖戦の中にこそ、その価値観を共有できる人との
あいだに愛は存在するのです。

そのまま観てそのままを受け入れる、それは対立や中傷誹謗もない
あるがままだけです。

善し悪しも、そのままに観て看取する事で多くの気づきや学ぶ事を
知ってゆくのです。

と信じて、私自身も聖戦の真っ最中です・・・


萬謝を込めて・・合掌
| Muramasa Kudo | 21:02 | comments(0) | - | pookmark |
友達
 自分が生きていく上で、一番大切なことは善い友達が
居るかどうかです。

昔から、遠くの親より近くの友、とも言われる理由です。

親に言えない事でも友達には言える・・・
皆さんも経験があると思います。

よい友達とは自分をただ誉めてくれるだけではなく、
色々なアドヴァイスや建設的な意見を言ってくれる人です。
自分に正直に伝えてくれる人です。

それはただ思惑とか、人の噂を基準にしての事ではなく、
指針となる内容です。お互いが将来の目標や人間の深い部分を
語り合える友、それが善い友人だと思うのです。

自分がシッカリ定めた目標、目的があれば、他人が何を言っても
それに惑わされる事なく、自分の道をシッカリと歩けるのです。
そしていつの日か人は賛辞を送るのです。

その中には陰で中傷していた人も含まれる事でしょう・・・。
善い友、それは一生にわたって付き合う大事な宝です。

自分に友達が少なかったら、それは自分が友達になろうという
積極性に欠けている証でもあるのです。

友達になってくれるのを待つのではなく、友達になって行く、
自分の構えを解いていく事です。

私は沢山の善い友に恵まれています。ありがたい事です。


ナポレオン・ヒルはこのような事を言っています。

『友達よりも敵が多いとすれば、あなたの心構えを
 見直さなければなりません。』

友達よりも敵の方が多いとしたら、次のことを自分自身に
問いかけてみましょう。

 「私は自分が友達にしたいと思うようなタイプの人間だろうか?」

 「他人の気持ちを考えてあげているだろうか?
  それとも自分のことばかり考えてはいないだろうか?」

 「他人の良いところを見ようとしているだろうか?
  それとも欠点ばかりを探してはいないだろうか?」

 「何かがうまくいかなかった時、問題の解決法を
  探しているだろうか?
  それとも誰かを責めようとしてはいないだろうか?」

 
このような自問に対する答えの中から、
「なぜ自分には友達よりも敵の方が多いのか?」

という疑問への答えが見つかるでしょう
| Muramasa Kudo | 06:55 | comments(1) | - | pookmark |
潜在意識・・何か偉大な力が・・
 とても大切な事と思い、再度この言葉を私の語録から
引き出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は右の耳が完全に聞こえず、ギターを弾いていても
右の耳で自分の出す音を聞きながら弾くものですが、
直接耳に入ってくる音ではなく、出た音が反射して
聴こえる音なのです・・・
そして年から年中あたまの中で耳鳴りがしています。

右耳のバランスの神経も切断れて働いていません。
眼をつぶって立てませんし・・・くつ下をはくときに
片足では立っていられません。

脚も長年の絵描き生活で衰え、何年か前には血栓になり
歩くのもまま成らなかったのですが、手術をして少しは
ましに成りました。

そんな私ですが・・・人から見ると屈強で健康で幸せ
そうに見えるのです。

そして私はそのようにシッカリと、そうです!・・・と
思って毎日を元気に生きています。

皆さんはヘレンケラーをご存知だと思います。
三重苦の彼女は世界の福祉制度を改革させた偉大な
身障者です。世界中で講演をして回りましたね・・

お話を聴いた人々の盛大で大きな拍手・・・
彼女には聴こえていません・・見えもしません・・・
しかし彼女は手を振って感謝の気持ちの笑顔で
みんなに応えたのです。

人間には五感というものが有って当たり前と思って
いる人がほとんどですが、なぜそれが当たり前なのか?
大方の人がそうだから・・・と云うことだけです。

人間はほんとうは五感ではなく、意識という六感までが
備わっているのです。

私達が普通六感と言っているのは、実は第7感なのです。

相対性理論を発見したアインシュタインによると、
この三次元の世界だけでなく九次元まではあるということが
わかったと言っています。そしてそれ以上も存在する
可能性がないとはいえない・・・とも言っています。

そして現在はMITマサチューセッツ工科大学(この大学は
ノーベル賞受賞者を67人も輩出している)の研究では、
宇宙物理学の研究では理論上では第16次元まであると
言っていますが、とてつもない高次元です。

さて、ヘレンケラーのお話に戻ります。

人間の生活そして保身の能力である六感があるというのが
当たり前のようですが、本当はもっと偉大な感覚は、
その上から始まるのです。

人間の一つの感覚が遮断されると、なん億年にもわたって
蓄積された生物のDNAの中から命を守る為のDNAにスイッチが
入るのです。

ヘレンケラーは三重苦です。五感のうちの三感が機能しない
状況なのです。

しかし、一感減るとDNAの中にいままで眠っていた、
何か偉大な力が、信じがたい活動をはじめ、足りない
感覚を援護、応援する保身への最大の力を発揮します。

そして六感の先にある、第七感が降りてその人につく、
そしてまたもう一つ減ると、第八感、また一つ減ると
第九感がついてくる・・・・

べートーベンもそうでした、数え切れないくらいの
多くの身障者が数え切れないくらいの奇跡を起こしました。

もし野生の動物達が記憶や思考に頼っていたら絶滅します。
森の中の自分の巣に戻る本能や、渡り鳥の何千キロも
旅が出来る力・・・五感を超えたところで生きています。

私は筑波大学の世界的な遺伝子の博士とお話をしました。
クローン羊のメリーさん、それは乳腺の細胞を培養して
生まれたものです。

研究中に栄養を与え続けてきましたが、細胞は分裂もせず、
また駄目か・・・とあきらめて、栄養をやるのもやめました。

そして何日かして忘れていたその試験管を見てみたら・・・
ものすごい勢いで細胞分裂が起きていたのです。

博士はその事をつぎのように言っていました。

一個の細胞には30億以上のDNAがあります。

そして乳腺の細胞はお乳をつくるDNAだけが働いていたのです。

しかし、細胞が生命の危険を察知した時に、保身の為の
ありとあらゆるDNAがその30億以上の中からめをさまし、
命を保護する為に活発に動き始めたのです。

命の危険、絶体絶命の状況が眠っている奇跡のDNAに
スイッチを入れることになったのです・・

私は聞きました、それはどういう事ですか?と

博士は、人間の科学はいま核も備えた細胞を造りだす
事ができます・・・しかしその細胞は分裂や成長は
どんなにやってもしないのです・・・。

科学を超えた、人間の英知の及ばない・・・
何か偉大な力・・サムシンググレート・・だけが
命という偉大な生誕をする力を持っている・・・と。

私は続けて聞きました・・・そのDNAのスイッチを
入れたり切ったりする事を意識的にする事は可能ですか?

博士は不可能とはいえない・・・ただ、サムシンググレート
という偉大な力と交流できなければいけない。

私はどういう風にですか?とまた聞きました。

博士は・・一番ちかい方法は信じるという信念、そして
その信念に基づいて行われる想像力・・・それしか
考えられない・・・最も近い行動をしているのは多分、
禅僧が座禅して禅定に完全に入っている時の状態です。

その時に無我の状態の奥には自由自在に宇宙のちからや
サムシンググレートと交信交流できる状況下にあります。

普段からその奥底の潜在意識に何を入れておくか・・・
この想念というものがサムシンググレートと結ぶ奇跡を
起こすものとしか考えられない・・・科学を超えた
命と魂の哲学でしか説明がつかない・・・・。

しかしそれは何であろうとも現実に存在します。

私は自分の想って来たことは正しいと確信したのです。

あなたがあなた以外の人や外界に目を向けて比較対象を
して疑問を持つ事はあなた自身の宇宙の外で
考えているにひとしいのです。

外には何もないのです。すべてあなたの内面宇宙によって
つかさどられた宇宙の姿なのです。

すべてを受け入れ、これで善しっ!ときっぱりとそのままを
受容した時に、サムシンググレートへの扉が開くのです。

見えないものを観る、聞こえない音を聴く、さわれないものに
触る・・・心的、神的な力は想像を超え得る力の世界です。

必要としなければDNAはねむったままなのです・・・

どれだけ必要とされているか・・・強烈な想念がそれを
伝え得るメッセンジャーなのです。

あなたには心眼も心聴も超越感覚もすでに備わって
いるのです。 よくよく思い返してみてください。

なにかを見てたり聞いたりしていて・・次にどうなるか・・
何故だか知らないけど・・・先に判ってしまう・・
そういうことが皆さんにも多々あった筈です。
その感覚こそがサムシンググレートと瞬間交流した時点です。

どうか自分の素晴らしい一生を素敵な想像力で

創造し続けて下さい。
| Muramasa Kudo | 22:41 | comments(0) | - | pookmark |
人として大事な教訓
 その1)

私の大学で2カ月目のこと、私たちの教授が抜き打ちテストをされました。

私は、最後の問題を読むまではちゃんと答えられましたが、最後の
問題には答えませんでした。

その問題には、「学校を掃除する女性の名は何ですか?」
これはある種の冗談だと思いました。

私も何度か掃除している女性を見かけたことがあります・・

その人は背が高くてダークヘアーで、年齢は50歳くらい?
でも私が彼女の名前を知っている訳などはないのです。

最後の質問は空白のままにして私は答案用紙をを提出しました。

クラスが終わる寸前に1人の学生が教授に、最後の質問は私たちの
成績単位にかかわるような重要なことかどうかをたずねました。

すると教授はその学生に【もちろん、当然です!】と答えました。

そして続けて教授は・・・

【あなた方がこれからキャリアを積んでゆく人生で、あなたは多くの
 人々に会うことでしょう、その出会いすべてが重要なのです。

 あなたがたとえ「こんにちは」と言って微笑むだけのことであっても、
 それはあなたの気付きや気くばりという、人生にとってとても大切で
 とても重要なことに値するのです。】

私はそれ以来、その教訓を一度も忘れたことがありません。

そして私は、彼女の名前がドロシーであることを学んだのです。



2) 吹き荒れる嵐の中で・・・・

ある激しい雨の夜、それも真夜中に近いころ、アフリカ系
アメリカ人の老女は、横なぐりの暴風雨に耐えながら、
アラバマの高速道路を走っていましたが、でも彼女の車は弱々しく
ついにはエンジンも止まってしまいました。

彼女は絶望的な状況の中で何とか通る車に助けを求めようとして、
ハンカチを取り出し、懸命に振り続けましたが
誰も止まってはくれませんでした。

すると彼女の振るハンカチ見て、ようやく一台の
ピックアップトラックが止まり、若い白人男性が降りてきました。

彼は親切に彼女を安全な所まで連れて行き、彼女が困らないように
彼女をタクシーに乗せてあげました。

その頃の1960年代には人種差別に対する問題でアメリカ中が闘争して
いた時代でもあり、ましてやアメリカ南部で白人が黒人を助けるのは
異例な事でした。

その白人男性は急いでいるように見えましたが、彼女は彼の住所を
聞いて書きとめ、何度も彼に感謝しました。

それから 一週間ほど過ぎたころ、白人の男性の家のドアがノックされ
男性はドアを開けたところ・・・・・ビックリしました!

彼が驚いたのは、当時は信じられない程の高価な巨大コンソールつき
カラーテレビが彼の家に届けられたのです。

そこにはとても綺麗な封筒があり、美しいカードが入っていました。


そのカードに書かれていた言葉を読みましょう。

『先日の夜、高速道路でほんとうに困っていた私を助けてくださって
 ありがとうございました。

 雨は私の服だけではなく、私の精神も心もびしょ漏れにしました。

 あなたは暴風雨の中、私が黒人であるにもかかわらず止まって
 助けてくれました。

 そのお陰で私は彼が亡くなる前に間に合ったのです、あなたのお陰で
 私は死ぬまぎわの愛する夫のそばに行くことができました…

「神はあなたを天使として、手を差しのべる無心の人として選び、
 そして私を悲嘆の辛苦から 救ってくれたのです。
 神はあなたをきっと祝福しています。」


本当に感謝しています、ありがとう、それでは、

 ミセス、ナット・キング・コール




3 ) 人はいつも大切な人を覚えています。

ある10歳の少年は、大好きなサンデーアイスクリームの為の
おこずかいがやっとたまり、近くのコーヒーショップに行き、
入口に近いテーブルに座りました。

ウエートレスがきてグラスに入った水を少年の前に置きました。

少年は、「サンデーアイスクリームはいくらですか?」とたずねました。

ウエートレスは、「50セント」と答えました。

少年は、彼のポケットから小さい手でコインを数え始めました。

そして「普通のアイスクリームはいくらですか?」 と少年は聞きました。

その時は忙しくほかのお客さんがテーブルへの案内を待っていました。

ウエートレスはちょっとイライラし始めていて、

「35セント」と彼女はぶっきらぼうに返答しました。

少年は小さい手で再び彼のコインを数えました。

そして「僕は普通の何ものっていないアイスクリームをください。」と、
彼は言いました。

ウエートレスは、アイスクリームを持って来て、勘定書きをテーブルに
置いてさっさとたち去りました。

少年はアイスクリームを食べ終え、そしてレジでお金を払い帰りました。

ウエートレスが戻ると、テーブルの食べたあとはちゃんと拭かれていて、
そして食べ終わったお皿の横には、きちんと2個の5セント硬貨と
5つのペニーが置かれていたのです。

ウェートレスはそれを見て、彼女は子供の様に泣きだしました。

なぜなら少年は、彼女にチップを残すためのお金を十分持っては
いなかったのです。

彼は彼女へのチップをおくために、サンデーアイスクリームを
食べる事ができなかったのです。



4 ) 道路の障害物

昔ある王様が大きな岩を道路に置かせました。

次に王様は、だれかが大な岩を取り除くかどうかを見るために隠れて
ジーッと見ていました。

とても裕福な商人や王宮のけらいがやって来て、ただ 見知らぬ
振りをしていました。

しかし多くの者は、道路をちゃんと整備していないのをやかましく
責めたりしていましたが、大きな岩を片づけることに関して何も
しませんでした。

そして、そこへ農民が荷車に野菜いっぱいのせてやって来ました。

農民は大きな岩のそばへいき、彼は気持ちを集中させ、道路の端に
大岩を動かそうとしました。

何度も何度もおしたり引いたり奮闘した後、最後にやっと動かす事に
成功しました。

農民は野菜の積まれた重い荷車を動かし始め・・・と、その時、
彼は道路の大岩があった跡に袋がおいてある事に気付きました。

その袋には金貨が一杯入っていて、『この金貨は、通行人や荷車の
邪魔になる大岩を取り除いた心ある人のものです』、と書いたメモが
王様のサインつきで入っていたのです。

農民は多くの人が決してすべて人の心を理解している訳ではないことも
学び、そして多くの障害や問題は、大変だけれど私たちの人生や生活を
良くする、またとないチャンスの啓示だとわかったのです。




5 ) 愛は命を救う

私は何年も前に、まれで重い病気に苦しんでいたリズという幼女と知り
合いました。その時、私は、病院でボランティアとして働いていたのです。

その時、彼女の病気が回復する唯一の可能性は、彼女の5歳の弟から
の輸血でしかないのでした。

その弟は以前、同じ病気になり奇跡的に回復し、その病気を治す抗生
物質体が弟にはできていました。

医師は、彼女の弟に事情を説明して、彼の血液を彼の姉に与えても
いいかどうか、その小さい少年にたずねました。

私は、幼い彼が深呼吸をして「はい、それでお姉ちゃんを救えるなら、
よろこんで僕はそうして欲しいと思う」、と言いました。

私は彼がそう言う前に、ほんの一瞬だけためらいの表情になったのが
見えたのです。

でも、輸血をしているときに彼は、彼の姉の横でベッドに横たわりながら
微笑んでいました。

彼女のほほに血色がに戻ってきたのを見て、私たちは安心しながら 、
弟のほうをみました。

すると彼の顔は少しずつ青ざめてきていました、そして彼の微笑は
色あせてきました。

弟は医師を見上げ、震えた声で・・「僕は、もうすぐ死に始めるの?」
とたずねました。

幼く小さい少年は医師の言った意味を十分に理解していなかったのです。

小さな弟は、姉を救うために自分の血液のすべてを彼の姉に
与えなければならないんだ・・・と思っていたのです。

医師はやさしく・・・

「とんでもない!君もお姉さんもすぐ元気になって一緒に遊べるよ!
 君の勇気と愛が奇跡をおこしたんだよ!」、
と彼の小さな手を強くにぎり、握手したのです。

弟の青白くなった顔に、満面の微笑みがもどりました。

その横で顔色がもどって来たお姉さんの微笑みと一緒に、
ほほには溢れた涙がとめどもなく流れていました。 
| Muramasa Kudo | 20:52 | comments(0) | - | pookmark |
自分の内にある最良のものを進み行く
 新年明けましておめでとう御座います。

混迷と困惑の旧年も過去のものとなり、
心機一転の思いで新しい年を迎えられた事と思います。

私もこの新しい年を飛躍と革新の一年にするべく、
さらに精進して行く所存です。

皆様にとって健康で健全な素晴らしい年である事を
真底より祈念しております。

本年も何とぞ宜しくご指導、ご教示の程を
謹んでお願い申し上げます。


祝慶、祈念、無病息災、万福将来

愚、工藤村正 拝、ロスアンジェルスより、


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

年頭の言葉として、以前もご紹介致しましたが、
マザーテレサの言葉を引用致したいと思います。


『あなたの内ある最良のもので進めて下さい』

人は不合理、非論理、利己的ですが
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行なうと
利己的な目的でそれをしたと
言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい

目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、
あなたを 傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、
誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、
壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、
世に与えなさい

けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを
与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間の
ことなのです

あなたと他の人の間であったことは
一度もなかったのです


マザー・テレサ
| Muramasa Kudo | 23:39 | comments(0) | - | pookmark |
肝心帳

Profile

Mobile

qrcode

Search

Calendar

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< January 2010 >>

Entry

Comment

Archives

Category

Link

Sponsored Links

Feed

Recommend