過去と他人は変えられない、自分と未来は変えられる!
2010.02.11 Thursday | category:自己を高める
現代社会での人間関係は往々にして問題が起きやすい。
人はそれぞれの思惑や想像、そして個々の生活状況、状態に応じて
考えや行動が伴っていくという事実で成り立っていて、個人の
希望や願望がそのまま100%相手に反映するという事ではない。
ただお互いの理解や協調によって調和(同調と違う)が生まれる。
あくまでも違うという事が自然であり、個々がそれぞれの特性や
個性が活かされる訳です。
何でもそうだが「思い込んだら命がけ」になってしまわぬ冷静さも
大事なことでもある・・・もちろん恋愛感情は一番制御しにくい
感情の最たるものだから、素晴らしさと落胆の狭間に揺れる訳です。
コップを空にして、どうぞ・・・と入って来るものが柔軟なものではなく
氷のように固まっている場合、コップと接している部分はほんの
僅かです、水や空気のように柔軟であれば問題は無いのですが、
人間大人になるまでに多くの経験や情報による概念や思い込み
というものに囚われている事の方が多いものです。
どんなに頑張っても他の人にはなれない、男女の性を反転させる
ことなども出来ないのだから、後は自分の思考や想像力をいかに
調和へと使うかだが・・・・それがなかなか出来ない。
だからこそ自分という者の善し悪しを、いかに把握してそれに
集中し矯正したり伸ばしたりしていけるかの自己内面の勉強であり、
猛烈な自己との葛藤、格闘のくり返しを続けるわけです。
みな血の通った人間である以上、それぞれが自分の思いや希望を
描き抱いているからこそ未来へ進めるし、延々と立ち止まり、さまよう
こともある訳です。
自分というものは個人という世界に現存する何十億分の一の確立で
生かされ存在している、そして他という命の存在もまた蟻一匹でさえ
個という独立したそれぞれが違うという別個の命であることを忘れては
ならないのです。
個という単体の集合体で世界は成り立ち、また、それぞれの種類、種族
に集合し、国、社会、そして家族などが構成されている訳ですが、一番に
忘れてはならない事は、それぞれの違いがある事によって自己という
個、個人の存在が確立されているという事であり、違いがない同一と
いうものは存在せず、似て非なるものという事実を受け入れることが
大事です。そしてそれが生きて行く上でとても重要な関わりという関係を
産み、人生という壮大なドラマが構成されていく事になるのです。
人のせいなど何もない、他人が他人への決断をする事はないのです。
例外はあるが、それは法律で拘束されたりした場合にはあるでしょう。
しかし物事の総ては自分の最終的な決断、判断で決めているのが
事実であり、毎日の生活は自己決断を続けている事による因果関係で
成り立っているという事を常に念頭において置く事です。
面倒臭いこと言うかも知れないけれど、他人と過去は変えられない、
でも自分と未来を変えることは誰にでも出来る、もし望むのであれば。
一秒の積み重ねが時間という人生の経過をつくる以上、その一秒を
大切にできる様になりたいものです。
人はそれぞれの思惑や想像、そして個々の生活状況、状態に応じて
考えや行動が伴っていくという事実で成り立っていて、個人の
希望や願望がそのまま100%相手に反映するという事ではない。
ただお互いの理解や協調によって調和(同調と違う)が生まれる。
あくまでも違うという事が自然であり、個々がそれぞれの特性や
個性が活かされる訳です。
何でもそうだが「思い込んだら命がけ」になってしまわぬ冷静さも
大事なことでもある・・・もちろん恋愛感情は一番制御しにくい
感情の最たるものだから、素晴らしさと落胆の狭間に揺れる訳です。
コップを空にして、どうぞ・・・と入って来るものが柔軟なものではなく
氷のように固まっている場合、コップと接している部分はほんの
僅かです、水や空気のように柔軟であれば問題は無いのですが、
人間大人になるまでに多くの経験や情報による概念や思い込み
というものに囚われている事の方が多いものです。
どんなに頑張っても他の人にはなれない、男女の性を反転させる
ことなども出来ないのだから、後は自分の思考や想像力をいかに
調和へと使うかだが・・・・それがなかなか出来ない。
だからこそ自分という者の善し悪しを、いかに把握してそれに
集中し矯正したり伸ばしたりしていけるかの自己内面の勉強であり、
猛烈な自己との葛藤、格闘のくり返しを続けるわけです。
みな血の通った人間である以上、それぞれが自分の思いや希望を
描き抱いているからこそ未来へ進めるし、延々と立ち止まり、さまよう
こともある訳です。
自分というものは個人という世界に現存する何十億分の一の確立で
生かされ存在している、そして他という命の存在もまた蟻一匹でさえ
個という独立したそれぞれが違うという別個の命であることを忘れては
ならないのです。
個という単体の集合体で世界は成り立ち、また、それぞれの種類、種族
に集合し、国、社会、そして家族などが構成されている訳ですが、一番に
忘れてはならない事は、それぞれの違いがある事によって自己という
個、個人の存在が確立されているという事であり、違いがない同一と
いうものは存在せず、似て非なるものという事実を受け入れることが
大事です。そしてそれが生きて行く上でとても重要な関わりという関係を
産み、人生という壮大なドラマが構成されていく事になるのです。
人のせいなど何もない、他人が他人への決断をする事はないのです。
例外はあるが、それは法律で拘束されたりした場合にはあるでしょう。
しかし物事の総ては自分の最終的な決断、判断で決めているのが
事実であり、毎日の生活は自己決断を続けている事による因果関係で
成り立っているという事を常に念頭において置く事です。
面倒臭いこと言うかも知れないけれど、他人と過去は変えられない、
でも自分と未来を変えることは誰にでも出来る、もし望むのであれば。
一秒の積み重ねが時間という人生の経過をつくる以上、その一秒を
大切にできる様になりたいものです。
私は駄目だとは思わない事
2010.02.11 Thursday | category:証
自損心 (再)
2010.02.07 Sunday | category:自損心
今回の題名を自尊心ではなく自損心としたのには理由があります。
人はいつでも幸せになりたいと願いながら、人を羨んだり
嫉妬したりして、自分の本来から備わっている大事な能力を
使うことを往々にして忘れてしまう事が多いですね。
偉大な宇宙の力(神の力とでも言いましょうか)から生まれて来た
命、その尊い命を頂いているにもかかわらず、自分というものを
必要以上に卑下したり、嫌っている人のなんと多い事か・・・・。
自分のことは物理的に第三者としてみる事は出来ませんが、
精神的な目で自分を第三者としての目で観る事が大事です。
よく観ると、自分もなかなか捨てたものではないという事が
判る筈です。
ひとそれぞれが個人の宿命や運命をつかさどって生きています。
いい人生を送る人は自分というものを大切にする事を知っている
人です。
うまく生きようとするのではなく、いい生き方をするという事が
大切なのです。
自分以外の人がいて初めて自分というものが存在し、
証明されるのです。
自他不二という言葉があります。
自分と他人も同じ人間で何も変わらないという事のほかに、
自分の思考そのもの、自分の中にあるもの意外は判断できない、
出来えないという事を知る事です。
人を非難中傷すること自体が、自分のおろかさを露呈する事に
なるのです。
人の幸運を喜び、そして笑顔でその喜びを一緒に感じる事が
出来る人間、それが幸せな人という事です。
自分も他人も一緒の人間だという事をシッカリ受け止めて、
自分の目指すところへと、反省と感謝を持って努力邁進する事が
大事な生き方といえます。
自他共に優しく出来る人でありたい・・・そう私は願って生きています。
N・Hの言葉より
『噂話や悪口ばかりにうつつを抜かしている人間は、それに忙しくて
成功できません。』
私たちに与えられた時間、エネルギーは限られています。
その限られた財産をどのように使うかは、自分自身で慎重に
決めなければいけません。
自分の利益ばかりを考え、他人の名誉を傷つけることに時間を
使うならば、他人の噂話や悪口をいうことに多くの時間と
エネルギーが費やされ、自分のための時間がほとんど残って
いないことにすぐ気がつくはずです。
悪意のある情報に関わっていると、他人から信用されなくなります。
こんなことわざがあります。
【 私たちに他人の噂を話す者は、他人の所でも私たちのことを
噂しているものだ 】
自分自身の内側に目を向ける・・・大事なことですね
人はいつでも幸せになりたいと願いながら、人を羨んだり
嫉妬したりして、自分の本来から備わっている大事な能力を
使うことを往々にして忘れてしまう事が多いですね。
偉大な宇宙の力(神の力とでも言いましょうか)から生まれて来た
命、その尊い命を頂いているにもかかわらず、自分というものを
必要以上に卑下したり、嫌っている人のなんと多い事か・・・・。
自分のことは物理的に第三者としてみる事は出来ませんが、
精神的な目で自分を第三者としての目で観る事が大事です。
よく観ると、自分もなかなか捨てたものではないという事が
判る筈です。
ひとそれぞれが個人の宿命や運命をつかさどって生きています。
いい人生を送る人は自分というものを大切にする事を知っている
人です。
うまく生きようとするのではなく、いい生き方をするという事が
大切なのです。
自分以外の人がいて初めて自分というものが存在し、
証明されるのです。
自他不二という言葉があります。
自分と他人も同じ人間で何も変わらないという事のほかに、
自分の思考そのもの、自分の中にあるもの意外は判断できない、
出来えないという事を知る事です。
人を非難中傷すること自体が、自分のおろかさを露呈する事に
なるのです。
人の幸運を喜び、そして笑顔でその喜びを一緒に感じる事が
出来る人間、それが幸せな人という事です。
自分も他人も一緒の人間だという事をシッカリ受け止めて、
自分の目指すところへと、反省と感謝を持って努力邁進する事が
大事な生き方といえます。
自他共に優しく出来る人でありたい・・・そう私は願って生きています。
N・Hの言葉より
『噂話や悪口ばかりにうつつを抜かしている人間は、それに忙しくて
成功できません。』
私たちに与えられた時間、エネルギーは限られています。
その限られた財産をどのように使うかは、自分自身で慎重に
決めなければいけません。
自分の利益ばかりを考え、他人の名誉を傷つけることに時間を
使うならば、他人の噂話や悪口をいうことに多くの時間と
エネルギーが費やされ、自分のための時間がほとんど残って
いないことにすぐ気がつくはずです。
悪意のある情報に関わっていると、他人から信用されなくなります。
こんなことわざがあります。
【 私たちに他人の噂を話す者は、他人の所でも私たちのことを
噂しているものだ 】
自分自身の内側に目を向ける・・・大事なことですね
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