肝心帳 kudo studio
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そのまんまで
 そのままを・・さらけ出せるまでの道のりは・・・ 短くもなく、長くもなし・・



そしてのご縁は・・・・一瞬、早からず遅からず・・・・の出逢い




うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ ・・・・ 芭蕉




ひらき直る・・・・干物のごとく総てを開いて・・・そのまんま


そのまんまで・・・・まっ直ぐに・・・ 




開き直りと、いじけは違う・・



真剣さと、深刻さは違う・・・


優しさと、甘やかしは違う・・



謙虚と、自己卑下は違う・・・


親しさと、馴れ馴れしさは・・いわずもがな・・




それぞれ天地の差・・・雲泥の差・・・



ご縁を大切に・・・・



お陰さまに感謝です・・・



Kudo Studio Japan:Webサイト
http://www.kudomuramasa.com/index.html



ご縁 麻布個展
©MURAMASA KUDO
| Muramasa Kudo | 20:03 | comments(0) | - | pookmark |
感謝と感情
感謝と感情

いつでもどこでも自分は自分しか居ない、

自分は孤独と感じていようがいまいが、

気がつかなくても多くの人が陰で支えてくれている。



シャツ一枚でも、畑で綿を作る人、それを糸にする人、

運ぶ人、デザインする人、カットする人、包装する人、

搬送する人、買い入れる人、売る人・・・もっと沢山あるはず。

シャツ一枚を着るのでもこれだけの多くの人が陰で働き支えてくれている。


そういう人が居なければ炎天下でも雪の中でも裸で暮らすしかない。



自分ひとりで生きてきたと言う人が居るけど、

それはお陰様に対しての気付きや感謝が無い人。



いつだってどこでだって人に支えられている。

仕事も人生もすべてが人とのかかわりで成り立っている。



幸せに成るということは人間関係をちゃんと

作り上げられる人という事だろう



自分も含めて人を許すということ、

そして理解してあげるという事・・・


簡単ではなくても優しさの努力は必ず報われる


自分の一生は自分が書いた筋書きにそって

現実化して行くもの



いつでもどこでも自分に大切な言葉を言い聞かせながら、

毎日の仕事でも家庭でも、友達といるときでも

片時もその言葉を忘れないようにすることだ。



感情は魔物みたいなものだ!

いつだって心のスキをねらって入り込んでくる


人の弱みにつけ込んでに日常をひっかき回そうとする



だからいつだって自分の感情の動きに注意して、

常に微笑んで話し、微笑みで言葉をかえす・・・

微笑んでいる人に怒る人なんかいない。



一瞬の感情の動きは善いにしろ悪いにしろ、

人生を変えてしまうだけの凄い力を持っている。



うまく生きるよりも、不器用でもいい、少しずつでもいいから

善い生き方をするように、人は常に努力しなければいけない。



善い生き方をした人生を幸せな人生と呼ぶ


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| Muramasa Kudo | 23:24 | comments(1) | - | pookmark |
イギリス人、ドイツ人、アメリカ人、日本人の国民性?
私はアメリカに住んで30年以上になるけれど、

人種の多様性、その国民性はアメリカという国の中で

それぞれのお国柄は2世、3世まで受け継がれているようで、

DNAのすごさは計り知れないもんだと納得。


アメリカへ来てから友人に次のような話を聞いてなるほどと思った事がある。


タイタニック号の様な大惨事が起った場合、一番最初に避難させなければ

いけないのがご婦人、そして子供、老人や病人・・


だれでも早く避難したいのはどこの国の人でも同じだ。

その国々の国民性に合った説得がものを言う・・・

あなたはどうですか?



まず、イギリス人の男性にお願いするときは、


『 貴方がもし、紳士であるならば、皆さんを先に避難させてください 』

『 もちろん!』



つぎに、ドイツ人の男性にお願いするときは、

『 これは命令です!皆さんを先に避難させるように!』

『 了解しました!』



その次にアメリカ人の男性にお願いするときは、

『 貴方がもし、ヒーローになりたければ皆を先に避難させてください 』

『 当然です!』



さいごに、日本人の男性にお願いするときは、

『 先に弱者を避難させる様にして下さい、皆がそうしていますので 』

『 皆がそうなら分かりました 』



実際にはどうなるのかは現場にいなければ判らないのですが・・・

端的ではあるけれど、なぜか国民性がよく判るような気がします・・・


20年くらい前にハリウッドにあった私のアトリエが火事になりました。

1920年代に建てられたスペイン風の大きな邸宅で、万一の場合に備えて、

消防用のホースや消化水を高水圧に変更したり・・・・

かなりシッカリした防火設備にして安心していたのですが・・・


いざ、火事だと知らせがあり、大げさな知らせ位に思って駆けつけると、

何と、アトリエから激しい炎と真っ黒な煙が吹き出ているではありませんか!


私は急いでアトリエに行きましたがもう手遅れで、

目の前で、アートエクスポ用に描いた新作の絵が100枚、

そして画集を出版する為の原稿や記録写真のネガがすべて

焼けてしまいました。


友人は慌てて・・・・大きな銀のボウルに水を入れてきて・・・

私も一緒にボウルでなんども階段を昇り降りしながら水をかけていました・・・


プロ用の消火設備があったにもかかわらず・・・・ あとのまつりでした。

ちなみに、アンティークの銀のボウルは手からすべって火の中に・・・


人間いざとなった時に・・・ 頭の中がまっ白になる事が良く判った次第です。

でも、災害や惨事の際には人道的な行動がすぐ取れる決意ではあります。


そして飼い犬のシェパード(弁慶)は、私がアトリエにいると思い、

ドアに体当たりを続けていましたが・・・ 私を見つけて飛びついてきました。


ツメが折れ、鼻のあたまや肩がすり剥けていました・・・・ 泣けました。


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| Muramasa Kudo | 20:47 | comments(0) | - | pookmark |
仕事への情熱(アーティスト)
アーティスト、それは想像と創作に関わるすべての人、
絵画、美容師、芸能、生活用品、全て想像からの産物、
それを生み出す人達・・・とても素敵な響きの言葉ですが、
その才能を仕事として活かして行くという事は簡単じゃない事は
アーティスト自身が良く判っている事と思う。
 
しかし大変でも創作する喜びを知った者に残された事は
自分の目指す理想の創造物を制作する・・ただ継続して
作り続ける。
 
それが結局は後世の人への大きな贈り物になって行く・・・
そしてその事を期待して制作してもならない・・矛盾です。
 
本来の素晴らしい自由というものは、矛盾を矛盾としない
矛盾そのものが自然であり、あるがままという事を受いれる事です。
 
何にもこだわらず、そして流されずに生きることは難しいと思う。
でも自分の中にあるものは自分以外に変える事はできないのです。
 
自分が水のように、風のように形というものが存在しなくても
誰の中にもその存在感は自然に根付いている・・
そんな人になりたいと私は思って生きています。
 
ほめられずとも陰口を言われようとも、全ては自分の中で
処理できる事であり、そして自分への決定権を持っているのは
自分の人生の中では自分以外にはいないという事に気がつく。
 
人間の一生はたった100年にも満たない短いものです。
まして自分の生き方を考えるようになってからの年月と
活動できる時間はとても短いものだ。
 
そんな短い時間内に自分の理想を完成させるという事は
至難のわざでもあると思うが、挑戦のないところには
その進歩も結果もないという事です。
 
挑戦をし続けて終る人生には【挫折】という言葉は当てはまらない。
つねに進歩、改革、変化を続けているのだから。
挫折は挑戦を放棄したときに決定する。


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菩薩観音
©MURAMASA KUDO
| Muramasa Kudo | 22:04 | comments(0) | - | pookmark |
不良というもの
不良というもの

僕は十代の頃よく不良と言われていました。
今は先生と呼ばれることもあります。
でも学校の先生ではなく絵描きをやっているからでしょう。

学生の時はいつも人と違った行動ばかりしているし、
いわゆる不良グループ的な友達がたくさんいました。

いまその多くの友人たちは実業家であったり、
音楽家になった人、俳優さんになった人、政治にかかわっている人、
色々と活躍している人が大勢います。

日本は昔から、右ならえ!左ならえ! 整然と並ぶように訓練されてきました。
学校でも先生が質問する時には、『皆はどう思う?』という風に聞きます。
平均化、平等化を主体とした教え方が普通でした。

その質問に行儀のよい生徒、よく出来る生徒、ようするに優等生が手を上げて、
『そう思います』と答えると、先生はまた『他のみんなはどう思う?』と聞きます。
まわりの生徒は、あの人が手を上げているんだから、とにかく手を上げておこう。
という連鎖反応が起きます。

今も昔もあまり変らない同調によって仲間外れにならない様にする・・
それは日本社会の構造が延々と続いてきた理由と条件かもしれない。
日本列島は知ってのとおり、四面を海にかこまれた国だ。
せまい島の中での社会秩序をたもつにはもってこいの習慣だろう。

でも、第二次大戦がおわり、世界と急速に接近して来た近代において、
孤立した平均性、平等性を良しとするのは時代の流れを観ていない、
ということも言えるのではないか。

僕の例で申し訳ないが、先生と違う意見や考えを持っている場合、
僕は手を上げなかった生徒でした。

通信簿には、先生の指示に従わない、協調性がない、単独行動や
独断性があって少々問題です・・・と、いつも書かれていました。

学校の成績はそこそこ良い方でしたが、それとは関係なく、
一種の異端児として扱われるようになり、段々に不良と呼ばれる様になる。

ひどいのは『不良と遊ばないようにしろ、付き合うな』という風に、
どんどんエスカレートしてきて、自分自身でも不良だと思うようになった。

しかしここで考えて欲しいのは、独自の見解や考えを質問したり、
聞いたり、何故なのかを解明する為の行動も、協調性や調和をみだす、
という注意をされるのですが、欧米諸国の学校や社会では、
『皆はどう思う?』という質問ではなく、『君はどう思うか?』という
平均性や平等性よりも、個人としての考えや見解を聞く、
個性を重視した教え方をするのです。

個性が強い場合、日本では協調性のない者、適応しない者として
不良、仲間はずれの部類にいれるが、個性とは不良という事ではないはずです。
そういう意味において僕は逆説不良のすすめを説いています。

昔、僕の中学校時代の母校で『PTA総会、文化講演』なるものを
頼まれて一時間半お話をしましたが、講演の題名は『生き様について』で、
話の内容は『不良のすすめ』でした。

いまその不良だった少年はアメリカで画家となり、あちこちで個展を開催したり、
大学で講義をしたり、おまけに環太平洋親善文化大使にさえ任命されたのです。

自分を大切に出来ない、他力本願で信念を持たない人、そんな人が
政界や実業界でリーダーシップを発揮できる訳がないのです。
ましてや自分の夢を実現できるだけの力も無いのかもしれません。

不良・・大いに結構、ただし、人の命と魂の尊厳に沿っていればです。


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| Muramasa Kudo | 07:17 | comments(0) | - | pookmark |
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