肝心帳 kudo studio
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感謝とともに

謹呈

今年は激震の年ではありましたが、どうぞ皆様に於かれましては

善き年越しと、そして未来へとは飛躍する新年をお迎え下さる事を、

真底より願ってやみません。 

無骨な私に多くのコメントや励ましの言葉を頂き心より

感謝を申し上げ、ネットの上とはいえ皆様との出逢いに

深く感謝申し上げます。


萬謝、敬意を込めて…合掌。

愚、工藤村正 拝呈、


富士山
©MURAMASA KUDO


Kudo Studio Japan:Webサイト
http://www.kudomuramasa.com/index.html

| Muramasa Kudo | 21:10 | comments(0) | - | pookmark |
風雪を経た年月は美しく…美味しく旨いもの

kannon
©MURAMASA KUDO


少々長くなりますが… 難しくありませんので…



私は昔から一匹山猫の様な生き方でした。


昔は野生動物みたいに眼がギラギラしてたそうです。



私は8歳から15歳までを青森で多感な時を過ごしました。


雄大な八甲田連峰、岩木山、十和田八幡平、

三方の海、陸奥湾や十和田湖、奥入瀬の渓流


幕末には見捨てられた東北はどこよりも


自然が残っていると思う…災い転じて福となる、

…感謝です。



懐かしく力強かった蒸気機関車の姿が消え、


ディーゼル機関車、そして初めての電気機関車…



昔は線路の周りには何もなかった…


電気機関車の為の架線の鉄柱がそこここに現れ


背景の山並みは文明と共に自然さを失い


似合わぬ無機質な景観へと様変わりを続け


今はついに東北新幹線も開通…


青森まで約3時間10分くらいだそうです。


利便さだけはあるが、昔の様に風景や景観を


愉しむ余裕すらなく、車窓を開けて買うお弁当、


各駅のご当地自慢のお弁当は一日3食ではなく


4食も5食も平らげるくらい美味しいものでした。




私が高校を一年で辞めて東京へ向かう時は、


まるで外国へ行く位い遙かな旅路は


鈍行(各駅停車)の夜行列車で26時間くらい


延々と旅が続いたものです(今はロスまで9時間前後)。


本当に簡単には帰れない…覚悟が必要な時代でした。


機関車や連絡船が出発する時は紙テープをしっかり互いに握り、


そのテープがち切れるまで、ずーっと手を振っていたものです。

青森から東京へ…涙の別れが駅のホームや岸壁には毎日あった。



何であれ、長い年月と風雪を経て耐え抜き鍛えられたものには


独特の美しさと共に、何とも云えぬ美味しさ、うま味がある。




幕末明治から世界大戦後も人の手が


なかなか及ばなかった山々の山菜は、


この山中の不思議な力と共に絶品で、


春秋共にこれ以上の山菜に出逢った事はない。


都会の中にもそういう空間を周りに見つけられたら


きっと本能的に安心と和みをその身に感じるのでしょうね、



人間も同じように幾多の風雪を経た姿には


何とも形容しがたい美しさ、侵しがたい品格がある。


その厳格で辛辣、複雑な風雪を経て初めて出来上がる、


最高の味は … 人間味という摩訶不思議な、


たった一品だけの神の創造した芸術品です。




今は喧噪で自国の文化を軽視し、自己保身だけの考え、


自他利を忘れた国政や社会はもうすでに


その崩壊の醜態をあからさまに表に現れている。


もう既に大手を振って文明国家とは云えません。


美しい言語、そして貞節で礼儀正しき男女…


今は出逢う事さえ奇跡に近い…



そこには慈悲心や思いやり、品格や羞恥心など


微塵のかけらも見えない…恥ずかしさを通り越し


余りにも悲哀に過ぎるのです。



美しい文化はどこへ消えていくのでしょう、


もう既に廃退している様にも感じます。


ちゃらちゃらしたうわべだけの流行に翻弄される


資本主義社会の犠牲者である事にも気がつかず、


青春のいっ時は仮装パレードのごとく異様でもある。


無論、時代時代にそれぞれの文化と言うであろう事も


若者に非難される事を承知の上でこの文を書いています。


まずは内面から本当の文化をとり戻す為には、


正しい日本語、国語をメディアやジャーナリストが


正しく使用し、簡略語や下品な造語などは止めるべきです。


オリンピックなどのスポーツでも政治でも、芸能でも


何でも縮めて敬称も姓名も定かではなく、中継を


観ていても何という名前の人なのかさえ解らない。


言葉は国を表し、自立、自主国家である事を表明するものです。


さぁて…もうここいらでジジイの不平不満は止めにしよう。


皆様もお体をご自愛され、善き年末年始をお迎え下さい。


萬謝を込めて… 合掌、

愚人、工藤村正 拝呈、



菩薩 工藤村正
©MURAMASA KUDO


不動明王
©MURAMASA KUDO


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| Muramasa Kudo | 17:14 | comments(0) | - | pookmark |
安心と愛… 孤独との闘い

少し寂しくなるかも知れないけれど…



人は誰しもが個で生まれ


個で棺に入り永遠の眠りにつく…




本当の意味での平穏と安心は…やっと


そこから新しく生まれ出るのかも知れない… 



だが人間は愚かで愛しき生きもの… 



せい一杯その毎日を人生社会という


多くの人間に囲まれながらもその中で



涙と共に必死になってもがき苦しみ…


孤独と闘い続ける…




いずれ本当の聖なる孤独を


手に入れる時がくるのに…



そうなる事に何も気づかずに…



私もそうだ…愚かだから…



Good Luck …

猫


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| Muramasa Kudo | 22:43 | comments(0) | - | pookmark |
幸せと…平和は…自分の中にある…

人それぞれの価値観は大なり小なりあるけれど、

その根底にあるものは幸せと平和…と思う。

大恋愛も、家庭も、仕事も、社会も、国も、世界も…

皆がそれを望んでいる…

平和と幸せ、健康を願い、どの宗教もそれが基本だ。

だけど自分の宗教が正しい…と、排他的、攻撃的、

そういうはまり込んでしまった宗教観は、自分も含め

世界の戦争の引き金になっている… 人間は愚かです。

だからこそ宗教心に頼り、自分の内面を浄化しようとする。

そして何千年も昔から同じ過ちを繰り返し続ける…

人間はおろかで、なお愛しい生き物…私は今のままでいい…

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| Muramasa Kudo | 09:02 | comments(0) | - | pookmark |
芸術は永遠に遠く… 人生は余りにも短く儚い

来年は世界が美しく輝き、私をも含め人々の、

身も心も平穏な年になる事を祈らずにいられない。
 

そんな事を想いながら今まで描いた絵の記録写真を


整理していたら… この絵が出て来た…


曉陽、雲海の富士…


富士山


この絵の様に凛とした姿勢でシッカリと生きたい…


画家として、人として、男として、まだまだ未熟者…


描きたいと願い想っていても、

いまだにやりたい事の半分も出来ていない…


ましてや、納得し満足できた作品は、

ただの一枚も描けてもいないのに…


芸術は遠く、人生は余りにも儚く短い…



九十歳でこの世を去った天才画家、

画狂人…葛飾北斎の最後の言葉は…



” 神様は意地悪だ、あと十年生かしてくれたら…

  私は点ひとつで、宇宙を描き出せたのに… ”


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| Muramasa Kudo | 23:54 | comments(0) | - | pookmark |
”ライムライト”…不朽の名作

洋画の名作、”ライムライト”

1952年にチャップリンがアカデミー作曲賞を含めた映画の総てを

自作自演で制作した…老年の道化師と美しい踊り子の純粋愛の物語。

チャップリン

今もハリウッドにはチャップリンが創設したスタジオが当時の面影を

残し、古いレンガ造りの外観も建物もまだ現役で活躍している。

私の親友だった故ラウル、ジュリア主演のアダムスファミリー1、2

もここで制作されました。


ラウルに呼ばれてセットへ入り、映画製作の事やチャップリンの話を

しながらも…この美しい感動の映画を想い出していた。




ライムライト、今の電気照明がまだなかった時代のステージライトで、

それは”名声”と賞賛される者への代名詞ともなっていた。この映画は

世界中の人々へのメッセージとして、命と魂の尊厳を深く、そして

慈愛を込めて創られた不朽の名作です。



しかしながら、当時のアメリカは異常なアカ(共産党員)狩りが遂行

されていて、チャップリンは母国イギリスへ凱旋途中の船の中で、

国外追放の哀しい知らせを受けた。



彼は人生などと云うものはない、生きる事は闘いそのものだ!

と言い切っていた。


私も含めアーティストでなくとも共感しない人は皆無に等しいのでは

ないかと…。



そして年月が過ぎ世界の超大スターとして、全アメリカ国民の待望と

賞賛に満ちた歓声の中、老いた顔には満面の笑みをたたえて…

その姿は…凛とした品格と、眼は慈愛と尊厳に満ちあふれていた…

その細い足は愛しむ様にふたたびアメリカの地を踏んだ。


チャーリー.チャップリン、彼は再びライムライトの頂点に照らし

出された…愛と想いを込めて創ったこの映画を再現したかのように…




”ライムライト”この映画には彼の生への愛と哲学、初めて波瀾万丈の

彼自身の素顔を映画に露出し、想像と創作、夢と現実、絶望と希望、

美しくも儚く、愛する人への想いと葛藤…人は個人として生まれ、

個人として独り静かに久遠の眠りにつく。




私は今この歳になって自分の中に、この愚直な主人公カルヴェロと

テリーの交感を、優しく流れる歌曲と共に切ないほど痛い程に

感じている…涙と愛が溢れ出てくるのを止めはできない…





"  Eternally …永遠に " (テリーのテーマ)

名作、” ライムライト ” の主題曲、Charles Chaplin作詞作曲


I'll be loving you Eternally , With a love that's true Eternally.

From the start with in my heart it seems I've always known,

The Sun would shine when you were mine and mine alone.

I'll be loving you Eternally, There'll be no one new my dear

for me.  Tho' the sky should fall, remember I shall always

be Forever true and loving you Eternally.




永遠にあなたを愛していくよ…

それが本当の永遠の愛なら…

わたしの心は…最初からそれを知ってたみたい…


太陽は光り輝く…

あなたが私のもの、私一人だけのものだった時…


永遠にあなたを愛していくよ…

これから私に…愛しい人など…

他に誰一人もいらない… 
 

ときには空さえもおちてしまうようだ… 


思い出して…本当にいつまでも永久に…

そして永遠に…あなたを愛しているよ…





アーティストとして、人間として、男として
この名作と名曲に出逢えた事は信念の奇跡…
敬愛を込めて…感謝します

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| Muramasa Kudo | 22:15 | comments(0) | - | pookmark |
悲しい、辛い、大変… どうしよう

どうしよう…


どんな時でも大変だといえば全て大変で、簡単な事など

なにも無いけど、学校での勉強と同じで行きたくなくても

絶対にいかなければならない、そして後々に勉強しておいて

本当に良かった〜と思うときが必ず来る。


私の人生はいつも大変でした、いつも大変だったから大変という

事に関して免疫が出来ているのかもしれないが、ストレスという

医学的な言葉での症状は自分には起きていないようです。


起きているのかもしれないが、普段するべき事をしなければ

ならない事がストレスに成るというのであれば、歯を磨く事、

それ自体さえもストレスの原因となってもおかしくはない筈だ。


私は目の前のするべき事をし、そして人事を尽くして天にゆだねる。

・・・それだけです。



ストレスは思うように行かない時に感情の期待、不安、怖れ、

などが入り乱れ情緒の不安定から生れたものです。



考えた想いどうりに成るというのは、私の生きる原理の中では

まさに想念の波動と磁場発生において現実化されるのです。


それは善い悪いに関係なく、確実に大きな影響力をもつ。



毎日いつも何をどういう風に考え、想っているのかが重要で、

思いえがくこともなく、目標、目的地を設定していない船出は、

海上を漂う難破船、という結果になりがちなのは言うまでもない。



一度設定した物事でも思惑とは関係なく、第一優先事項を

変更しなければならない事態も多々起きるが、常に柔軟な姿勢で

注意して対処して行く・・・



二転三転してもその時、その事が真に重要であるかどうかは、

将来的に、また信念に沿うかどうかで決断しなければいけない。



少なくとも出来る出来ないの判断を下す前に、ただ不安を

先行させる考えは決して将来においても善い事ではないのです。


それでも人の人生には不安、怖れ、孤立、失うことへの悲哀と

辛苦が付きまとう・・・例外なく私にもあります。



こうして多くの悩みをふくめて毎日考えながらも、大小に関わらず

一つの問題にはまり込んでしまった時、前後裁断、即決即断をする

決心や決断が出来なくなってしまう・・・



今これを読んでいる人は、今迄も一度として死んだ事もないし、

飢えで餓死寸前になった事も少ないと思います。

私が小さい時でさえも生きる為にそれなりに工夫していました。


毎日の出来事や悩みなどの心労をストレスとするのか、

自分自身の次元と品格を上げて行く試金石とするのかは

自分の信念でどちらにするか選択肢があるわけです。

私は当然後者を選ぶ、それしかないと信じているから。


何はともあれ死んでいない自分は毎日確認できている。

何を恐れる事があるだろう・・・、私は絶対に大丈夫という

なんの根拠もない自信が私を支えているのです。


それは死ぬまでは、どんな事があっても生かされるという

当たり前の自然法則、摂理、原理を受け入れているからです。



人はいつも悩んで生きて、その中に自分を見出すことで

多くを乗り越えなければいけない。


私は私の細胞のすべてが、経験という学習・・・喜怒哀楽

悲哀と辛苦、歓喜と絶望を通してその事を知っている・・・


経験は最高の教師です・・・・ただし、その代価も大きい


ムラマサクドウ
©MURAMASA KUDO

Kudo Studio Japan:Webサイト
http://www.kudomuramasa.com/index.html

| Muramasa Kudo | 15:35 | comments(0) | - | pookmark |
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