9月も今日で終わりをつげて…
夏の名残りを優しくなった
光の陰に想いを残し…
来る明日へと多くの事に
終わりのうたを告げながら…
待つや晩秋…期待とともに
おののき魅せる冬化粧…
裸で生まれ裸で死にゆく…
個人で生まれ、個人で世を去る…
感傷的な時節はいつでもどこでも
偲び来る… 明日があるから想えるか
感情と感傷、思いやりと諦め…
欲求と情緒への憧れと想い…
葛藤と生き様は背筋を伸ばし
凛々とした風になり…
そんな時節もやさしい風になって
過ぎゆくのなら…
紅に染まる山河は木枯らしを
優しき里へと移しゆく…
すべてを包む冬化粧…
人の心も感情も…
かすんでしまった大気さえ
白装束を美にまとい
静かに大地へ眠りゆく…
地球は蒼くおおらかに
総てを受け入れ怒りもせずに…
ただ淡々とそのままに…
しずかに幾億万年を捧げつつ…
ごめんなさい…ありがとう
©MURAMASA KUDO
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もしも私が龍であるならば…
憎しみと妬み、怒りと恨み、
悲しさと辛苦をのすべてを焼き尽くし…
私の呼吸と共に飲みほし燃やし尽くそう…
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家族という形態を経験した方にはごく自然な事であったとしても、家族形態から差別と虐待を受けた場合にはたとえ親ではなくとも愛とケアをしてくれる方に親としての感情が芽生える事は確かです…私の実経験上ですが…誰から生まれたのではなく、誰が愛してくれたかが親になりうるのです。
人は愛する者の為には頑張れる。でも漠然と人の為となると違ってくる…人偏に為と書いて偽りという字にもなる…、だからこそ自分の為に一所懸命生きる姿勢が自然と人の為になって行くのが自然で役立つ結果になると思うのです。まずは自分が泳げなければ助けられない!
自分と云うものを明らかにする必要が絶対不可欠なのです。
800年以上も昔の話ですが、唐へ渡った道元禅師は教典も持たず空手にて帰日いたし候、何を学んだのかと聞かれ、眼横鼻縦が(眼は横で鼻は縦)良く解ったとの答え…当たり前があたりまえとしてシッカリ大悟した。との答え大悟は教典の中に書いてあるものでは無く、自己覚醒において顕現する。そののち曹洞宗禅宗永平寺本山を開山し道元禅の普及に力を尽くした…800年以上も前の事だ。道元禅師は20代にして96巻かそこらの正法眼蔵という書物を書きしたためた…
あらたな禅宗、実践の哲学禅を網羅した法曹への学書である。しかし最後にはこういう事をいっている。『不立文字』文字や言葉では決して物事を明らかになどできない!ゆえにただひたすら壁面座(座禅)せよと…達磨大師の壁面9年端座を踏襲せよ自明理自己覚醒はそこからくると…
私はこの正法眼蔵を片手にアメリカへ渡ってきました。35歳の時に麻薬中毒で苦しんでいる友人を眼の前にして愕然と忽然と総てが解決してしまったのです。青天の霹靂でした。
あまりの清々しさと小さい頃からの呪縛からときはなされた自由性な魂…涙が溢れ出て止まりませんでした。全てが輝いていました。感謝の念しか…それしか浮かんで来ないのです…
人生の中で最も強烈で新鮮で純粋な感覚を感じ取った瞬間でした。
いま世界中がこのように混迷し翻弄され行き場の無い怒りや哀しみの中…もう一度、真の意味で温故知新を原動力に日本のトラディッショナルを再構築しようと思いませんか?我々日本、そして世界の将来が平和であるためにも…日本の高次元の分解式と勤勉さは不可欠な地球の宝です。
長々と書きましたが、お時間のある時に少しずつでも読んで頂ければと思います。
萬謝、敬愛を込めて…合掌九拝、 愚、工藤村正 拝呈
Ps, If anyone can translate this page for any lounge
I really appreciates. then we could share this.
Thank you for patience to reading long time
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Sound of silence, that I need...
sound of falling snow ...
internal sound of Love...
sound of creak and tender winds
風情…
風流…
浸っていたいな…
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中国の皇帝が仏教の発展に尽くしておおくの寺院などを建立し、
達磨大師に傾倒していた。
ある日突然中国を去って行く大師を追いかけて達磨大師に聞いた…
私は出来る限りの事を仏教の為にしてきました。
その行動と実績にはどのような功徳があるのでしょうか?と…
達磨大師はそれに対して答えました ”無功徳”
してあげたなどと思っている者は自己満足の為にしていただけで、
自己を明らかにする勉強もしない者に功徳などある訳もなし…と…
自己中で物事をする者に対して耳が痛いですね…(自分も笑えない)
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