肝心帳 kudo studio
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アートへの私的考察
 芸術、この言葉はとて重々しくて自分に当てはめて言うには少し高尚過ぎるかな?と云う気持ちに成ります。

 芸術の芸は草冠に云うという字の組み合わせですが、それは物言わぬ草がものを云うという風に私は解釈しています。

 言葉や文字は感覚や感性というものを的確に表現し、相手にその感覚を伝えるには余りにも不完全な道具なのです。

 しかし芸術は作者の写真や経歴を抜きにしても、アートそのものが作者に関係なく観る者、聴く者に感覚というものを喚起させる偉大なものです。

 画風やスタイルというものは作者が意図して作り上げようとしても出来るものでは有りません。

 スタイルという大まかな点では50年代以前に巨匠と呼ばれる芸術家達が確立していますが、我々すべての人達は多かれ少なかれその影響を受け、そして消化され自分のものとして作品の上に現れてくると思います。

 本当のスタイルというものは唯ひたすらに制作し続ける事によっておのずから自然とにじみ出て来るものです。意図的に作られた物は決して長続きはしないし、また確立された画風、奏法、とも呼べないと思います。

 何にでも挑戦し極めて行く姿勢はとても大切ですし、その中で又新しい発見があるのです。常に基本に還って研究する事がとても大事な事です。

 今は芸術そのものが非常に安直に考えられている風潮が有りますが、芸術は不必要の必要性そのもで、矛盾こそが真理です。光りは陰を創り、陰は光りの存在を証明する・・表裏、男女・・すべてが一体であり、別離では成り立ちません。

 コマの芯(自己)だけでは立てません、自己だけでは絶対に成り立たない自然の摂理であり法則です。

 周りに自分以外のものが有って初めて立たせて貰えるのです。そういった意味では本当の調和というものが自然と出て来るまで制作し続ける事が大切な事です。自己陶酔、自己満足に堕ちない様に日々精神の研鑽が必要です。

 作品の中から自己というものが匂わなく成って、初めてその作品は独り立ちし、芸そのものに成ります。

 大事な事は生かされていると云う事です。自分が現在まで来れた道程、渡して貰った橋、井戸を掘ってくれた人を忘れては成りません。

 自己を内観する事を忘れずに日々精進して行く・・・それだけですね。



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| Muramasa Kudo | 14:34 | comments(2) | - | pookmark |
早乙女太一・・感動と感心
 今年になって早乙女太一という大衆演劇の女形(おんながた)を知った。

 大衆演劇というと下町の玉三郎と言われた梅沢富夫が脳裏に浮かぶ。

 中年以上のオバサン、おばあちゃんに大人気の役者さんだ。

 その熱狂的なファンは日本国中、追いかけをしていたと記憶する。

 今年の2月14日のバレンタインの日に、大阪の新歌舞伎座で座長、早乙女太一が演じる「千年の祈り」という舞台を観ました。

 当分は女形の舞台はないという事で、彼の方のプロデューサーと私のエージェントが親しいなかで早乙女太一とのコラボレーションが実現することになり、急遽ロスアンジェルスから日本へ飛び、次の日の朝の新幹線で昼の部が最終公演になるという事だったので急いで(寝坊しました)行って、もう第一部が開演した所でした。一番前のど真ん中の席で、時差ボケでも眠れない状況でした。

 第一部が終わり、そして演舞が始まり・・・演技が始まり・・私はその美しさにビックリ、唖然としてしまいました!

 そしてもっとビックリしたのは、16歳という若さです。

 演劇の中で育ったから・・だけでは片付けられない彼の才能はまぎれも無く天与の才能であり、あのまなざしも決して意識して作っているものでもなく、自然のままにわき出てくるものである。

 しかし、彼らの興行回数は知ってビックリする。

 ほとんど毎日のようにどこかで舞台を張って居るわけです。

 そしてその練習も何もかも自分でしなければならい、伝統歌舞伎とは大きな違いですが、メークも踊りも人に言えないくらいの苦しい修行を個々の意思で進めて居るとの事・・・見習わねば・・。

 私はシリーズで絵を描く事になったのだが、非常に苦労している。

 いつもは私の想像の中から女性が生まれてくるのですが、今回は目の前で「千年の祈り」を演じた早乙女太一を描く訳です。

 その演舞の内面性を表現する為にも二度ロスから観に行ったのです。

 私のアトリエで今も奮闘しているのですが、彼の天才的なその感性と直感性は、16歳という普通であれば未熟な年齢をいとも簡単に(みえるが)一般常識を打ち破り、吉原遊女の悲哀と苦悩を演じ切ってしまった・・・その感動を与えてくれた内面を描く事の大変さは言葉や文字では説明が出来ないのだ。

 私は自分が絵を描いていることを考えてみても、これほどの感性と素直な直感で何かをして居る若者(大人も含め)を過去に見た事が無かったように思う。

 私は天才というのは天から与えられた個々の才能を存分に活かす事と皆に言って来たが、無意識のうちに自然にその才能を発揮できる本当の天才には太刀打ち出来ない・・・とこれからは付け加える事も考えて話す事にしよう。

 ただ、天才といえども練習量の多さも含め、勉強する熱心さと、忍耐、そして集中力が有ってこそ、天才を発揮できる訳です。

 それぞれが自分の才能をシッカリと何が出来るのか、どれだけそれを愛し続けて行けるのかを、まずハッキリと自己認識できなければならない・・・結局は何でも同じで継続と集中力です。

 16歳とは大違いの60歳だが・・・私もまだまだ頑張らねば・・・・


愚画人

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| Muramasa Kudo | 23:00 | comments(0) | - | pookmark |
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